12/27/2008

歴史と歴史との関係

金沢で久保さんに勧められていた、杉本博史のショーを21世紀美術館でみる。タイトルは"History of History"と作家一人で行うには少し大げさな感じがあるが、このショーはNYのJapan Societyで見た事があり、一つ気に入った作品を覚えているのでまた訪れる。

さすがにNYでの展示スペースの限界のためあまりまとまりがなかった事を記憶していたが、21世紀美術館で行われているショーはスペースの使い方がとても有効で完成度の高いもになっている。このショーは写真展ではなく彼の写真作品と自分の古美術のコレクションを交えたとても面白いショーだ。中には自分の写真を古美術に実際に混ぜて見せている物もある。

インタビューなどを見るとどのようなアイデア基にして作品を作っているなどと分かり彼の作品を理解するにはかかせない物だと思った。前々から思っていたが彼の作品を見ていると「時間」を意識せざるえない。それも一瞬の時間から数千年もしくはもっと長い時間を含めて。そしてそれらが「歴史」というアイデアを構成しているのであろう。「歴史」という事をレファレンスにする為ある意味「普遍性」みたいな物をかもしている。

その後に国際交流サロンの永江さんの所に寄ってみるとシムさんと山口君という若い工芸作家に出会う。彼らは金沢市がプログラムとして行っている卯辰山工芸工房という所で自分たちの作品を作っている。ここでは30人ほどの人達が全国から選ばれて、スタイペンド(給料)をもらいながら作品を作る機会を与えられる唯一のレジデンシーだそうだ。若くして作品を作っているという事もあり話が弾み、時間がないながらも次の日に輪島に向かう前にスタジオを訪れる事にする。

卯辰山は海抜が140mとそんなに高い山ではないが金沢の比較的平らな場所にある為、頂上からは金沢が全てが一望できる。僕もちょうどどの地点から金沢を全て撮ることができるのかと考えていた所にこんな機会に出会わした。あいにくの雨だが工房から見える景色はなかなかの物である。ここでは陶芸、繊維、ガラス、メタル、漆器の5項目だけを制作しているスタジオである。シムさんは漆器そして山口君はガラスのを使いそれぞれ作品を作っている。アメリカでいうCraftと呼ばれているアートである。

前の日話している時にアメリカではFine ArtとCraftの地位の差というのが明確に現れている事を話す。一概に言えないが、Fine Artというのはとても洗練されていているが、craftとなると手作り感みたいな意味合いが含まれてきて評価が下がる。もちろん家具を作る作家や陶芸の人でもとても評価の高い人がいるが、やはり取引されている値段そして話題性という点から見ても、Fine Artとの「差別」みたいな物は薄々と感じる。

工芸では長い「歴史」や「伝統」という物が逆に作用して一種の束縛感みたいな物になっているような感じがする。杉本博史が歴史を利用する事によって作り上げている「普遍性」のようなものはどこに行ってしまうのだろうか?歴史との関係をうまく利用するか、それともそれによって縛られるのかは作家次第なのだろうか?今にも雪が降りそうな曇りの金沢を発つ電車の中でそんな問いが頭を巡った。

12/24/2008

中心と地方の微妙な関係

九州は3ヶ月前にも訪れた。

前回は長崎,島原そして五島を訪れたが、今回は福岡と長崎のホテルの下見をする為に来た。めぼしいホテルを片っ端から訪れ、部屋の面積など細かい情報を教えてもらい、実際に部屋まで案内をしてもらう。このようにして20位のホテルを巡った。その為長崎などは実際に滞在していたのが24時間もなかった。

この様に日本をいろいろ動けるのはJR Passのおかげである。このパスは海外からの旅行者や永住者が週単位で購入することができる。「のぞみ」に乗れなかったり、実際にみどりの窓口に行かなければチケットを購入することができないなど制限はあるが,2週間、4万5千円でJRの電車が乗り放題になり、このような旅行にはなくてはならない物である。

新大阪から3時間位かけ小倉に向かい、駅前で大淵さんと待ち合わせをした。彼女は去年の今頃に東京で久保さんと一緒に会ったのが初めである。それから彼女も参加するショーやプラチナプリントの事などを通して連絡が頻繁になった。彼女は一昨年のFundraiserでは僕のプリントを購入してもらい,今年はプリントを数枚寄付してくれた。実際の距離は遠いながらもProject Bashoを支えているサポーターの一人である。

彼女の所に訪れた時は必ず情報の交換をする。プラチナプリントやカメラのことから写真を見ながら作家の事など写真について話す。前回などは情報を探して試してみたAnthrocotypeのプリントを見せてもらったり,実際のやり方に付いての情報をもらった。今回はベス単で作品を作っている人の写真集と大淵さんの写真を見せてもらった。色分解されたようで、比較的淡くしかし芯がある色がでていて、Autochromeの色をを思わせた。昔カメラ雑誌の広告でよく見たキヨハラソフトフォーカスの話をする。今ではあまり見なくなったようだが中判までのレンズがでていて、こんな物をレンズに取り付け4x5位に使えないのかとアイデアを交わす。

このように彼女と話をしていて感心するのはこのように地方にいても切磋琢磨に情報を収集していて作品作りの役立てているところである。彼女の事を見ているとどこにいても自分のアンテナを敏感にしていれば情報は入ってきて、ちゃんと作品を作れるのだと。日本の様に東京に一極集中していると一見そうに行かない様な気もするが、彼女を見ている限りそんな事はない。

つまり情報や「刺激」があるとされている東京にいるという事がいい作品を作るという事と比例しないというのだろう。もちろん情報や「刺激」だけで作品を作っていないので当たり前と言えば当たり前である。逆に情報が「はやり」として氾濫している東京では、自分の興味のある事にじっくり取り組む事ができないのかもしれない。「中心」にいるという事の「よい」とされている事が逆手になるというか。

これはアメリカにも似ている事が言える思う。日本人間の話を聞いているとNYを行けば/見れば写真の事がネットーワク的なとも含め全て「網羅できる」みたいな感がある。実際な話NYなどは競争が激しく全てが縦割りになっていて、いろんな人を知って行くには時間がかかり苦労する。

逆にフィラデルフィア見たいな地方都市に行くと写真界が狭いため皆「コミュニティー」としての意識があり横の関係を作って行くのが比較的簡単である。会う人に会っていればすんなり入って行くことができる。逆にこのような所で面白い事やちょっと居敷が違う事をすると人が寄ってきてくれて全面的に協力してくれる。そういう意味でも写真家,ギャラリーそしてキュレーターなどの人と「同等」に人として知り合いそして付き合うことができる。

そしてアメリカでは一極集中という物がなく各都市に中心がありアート界が存在する。つまりNYではやっている物が他の所で情報として伝わっているかというと必ずしもそうでない。アメリカで全国共通の「はやり」や「話題になっている物」というのはなくもないが、大体は日本のメディアが誇張に表現しているに過ぎない。

そんな状況などは外からでは見えないし,そんな事を追っている人には見えない物である。そういう事も含めて「中心」から距離を保つのはいいことであると思った。

12/20/2008

社会科見学

日本に着いてから早速ミカさんと一緒に出版社や出版に関係している人に立て続けに会う。

いろいろな立場の人から話を聞き日本での写真集出版の事情をリサーチするのが目的である。具体的な数字、ビジネスの内容や何を考えているのか、そして僕たちがどのようなことができるのか、などということをざっくばらんに話す。感触としてはどこも肯定的で協力してくれるようであった。

そんな事を二人で4日ほど行った後、月曜日には久保さんも引き連れて京都の便利堂に向かう。便利堂の鈴木さんには前々から久保さんとミカさんとで訪れる予定を伝えておいた。そこにミカさんの紹介で奈良でギャラリーを営んでいる野村さんと京都の大学で勉強している山下さんとが合流する。

お昼を食べて便利堂に訪れた時には2時で、それから山本さん達が行う工房の説明などを兼ね3時間位お邪魔をする。来る度に便利堂の技術そしてそれに対しての誇りなどに感心させられる。いろんな過程がありそれぞれの部門で働いている人と話すと、自分のやっている事に誇りを持っていることがすぐわかる。

その後、時差ぼけの睡魔に襲われながらも鈴木さんと山本さん達と一緒にお酒を飲み、技術的なことや、どのようにしてCollotypeの存在をもっと知ってもらうかという事を延々と話す。席での山本さんがCollotypeについて語っている顔が忘れられない。これだけ自分のやっている仕事を熱心に語れるという事ができる人が今の社会にどれくらいいるのだろうか?

鈴木さんには来年の3月に行われるAIPADの見学を兼ねてアメリカに来てほしいと誘い、山本さんには5月に行われるデジタルネガのワークショップに誘いをかける。このような機会で便利堂も学べる事は沢山あり、そして僕が協力できることもある。

その次の日には大阪にでてThird Gallery Ayaの綾さんを3人で訪れる。綾さんとはNYのICPで行われたオープニングで一度お会いしている。綾さんの所では前ミカさんが紹介してくれた日下部さんの作品を見せてもらう。サイトでしか見た事なかったが実際に見てみるとますますフィラデルフィアに持って来れないかと思う。近いうちに実現したい。

このように写真を通してアメリカと日本の間のこの距離を縮められないか?人、技術、物、そしてアイデアの行き来をもっと活発にできないかということをいつからかよく考えるようになった。そこにはどちらの世界も、言葉や文化の違いを障害とせず自由に行き来できる僕の役割がでてくる。そしてこれがミカさんと行おうとしているビジネスのコンセプトでもある。

新大阪の駅で久保さんとビールを飲みながら少し個人的な事まで話をする。今回は久保さんと過ごせる時間が沢山あり、仕事の事だけではない話をする余裕も出てきた。

そして久保さんと別れた後一路九州へ向かう。

Phillipとの会話

すっかり暗くなった時にスタジオに戻ってくると重要なメールが10件近く入っていた。それぞれの用件に対しすぐに返事をしてほしいと書かれている。昼間から外に出てきたのだが、たった6時間の間でのことである。さすがに忙しいと実感する。

今日は昼からお昼をかねてPhillipを訪れる。来年の春にギャラリーで行われるフィラデルフィアと日本の50年代の写真を見せるショーに参加する一人である。前にも触れたがこのショーではPhillipが撮った50年代のPhiladelphiaと僕の知り合いである山崎さんの50年代の写真を一緒に見せようという企画展である。二人とも「写真家」という部類に入る人達ではない。その分写真が本当に明快で見ていて快い。日本の写真の方はネガから起こすことになっていてフィラデルフィアのほうはPhillipがプリントしてあるものとネガから起こす物を予定している。そのショーの為の作品を見るミーティングをしてきた。

スタジオから電車とバスを乗り継ぎ30分位かけてNorth Eastと呼ばれる50年代から集合住宅が沢山できた地域にある彼の家を訪れる。既に1度訪れたが今回は時間をかけ彼の作品を片っ端に見る予定になっていた。昼過ぎに訪れるとこの82才のユダヤ系のおじさんはは少し弱った様子で僕を迎えてくれた。いつも挨拶するたびに彼はもう少し体の調子が良ければとつぶやく。

お昼を食べに近くにあるユダヤ系のDeliに一緒に向かう。今日はおごるからと言って聞かない。少しどぎつい内装でさびれた感じのレストランで、ウェイトレスのおばさんはびっこを引きながらも注文を受けにくる。Phillipはウェイトレスのおばさんに今日は元気かと暖かい声をかける。オーダを取ってテーブルから去った後顔を近づけてきて、あのウェイトレスがこの年でそしてこの体でまだ働かなければならないという現実は理解できないとささやく。

二人でお茶を飲みながらいろいろな話をする。彼は本当に知識に対してどん欲という感じで写真はもちろんの事,自分の職業であった印刷について、そしてフィラデルフィアや世界の歴史や文化の事ととにかく幅が広い。僕の知っている人の中でも日本史の明治維新の役割を話した後に彼自身特許まで取ったハーフトーンの点が見えなくする技術的な事まで違和感なく話せるのは彼位であろう。僕たちの会話の90%は彼が話している。

今までの彼の写真活動の話やフィラデルフィアの50年代の様子の話もする。いかにSouth Philadelphiaという地域にはユダヤ系の人達が集まっていたか、そして戦後郊外が発達して行く事によってユダヤ人の移動が始まったこと。Levitownという郊外集合住宅はまさにユダヤ人がユダヤ人の為に建てた町なのである事が分かる。そして一見幸せに見えたアメリカのイメージを崩したのがRobert FrankのAmericansである。Phillipとフィラデルフィアやアメリカの社会や文化の事を写真の歴史や技術的な進歩の文脈になぞりながら話すのは楽しい。写真の歴史が生きているという感覚がある。

その片一方で彼の体のことが気になる。彼の友達はガンの末期で最近ホスピスに移ったと話す。そして彼女の看病の為に彼は毎日のように病院に通っている。身体的にも精神的にも無理がかかり、先日は夕方の6時にまでベットから出る事ができなかったと言っていた。そんな事があったら、いつでも電話をしてくれれば一緒に昼を食べに行くと励ます。

後は1月からのプリント制作に取りかかる準備をしなければならない。Ilfordにスポンサーになってもらえればと、マーケィング担当の人にメールを送る。うまく時間が合えば久保さんもスポンサーとしてプリント制作に協力してくれると言っていた。

いつからか、自分一人でできる事は限られているので、他の人と協力をして物事を動かす様に意識し始めた。そしてこの様に写真を通して人間関係が出来ていく過程に喜びも感じる。今回ショーも僕の個人的な人との関係を通して出来上がってくる写真展である。

12/03/2008

進行中のプロジェクト

昨日は朝から三人の人と今進めているプロジェクトに付いて話す。

朝に電話をしたのはRonというコダックでEngineerとして働いていた人で1時間位話す。彼はRochesterに住んでいて今は個人の暗室で銀塩のフィルムとペーパーを作れるように独自で研究している人である。来年Rochesterに行ったら必ず会いたい人の一人である。

Ronは50年代の終わりから60年代の頭まで日本にいる機会があり、片言でも日本を話すぐらいの日本通である。そして仕事の関係上もありフジやコニカそして千葉大学の写真関連の人を良く知っている。今回日本に帰った時に彼の紹介でこのような人達に会おうと考えている。紹介してもらった人は4人ほどで研究者から会社の社長や元副社長までと本当に幅が広い。このような人脈をうまく伝って行きたい。

その後にskypeで小林美香さんと話をする。彼女とは今年の5月にNYで会ってからこのようにSkypeで連絡をよく取るようになった。実際には一度しかあった事がないが今ではSkype友達である。

彼女は今年に行われたICPでの日本人展をきっかけにアメリカに一年いて、こちらの写真界の様子を見てきた人である。長年日本の写真に携わってきた為、ある意味で両方を見ることができる数少ない人である。3週間ほど前に行われたParis Photoにも出品している出版社のお手伝いとして様子を見てきた。

彼女とは日本の写真と海外をつなぐ事をビジネスにできないかと前々から話している。最初の方は彼女もちょっと半信半疑だったのだろうかこの2ヶ月位具体的に活動してきていろいろ可能性が見えてきた。来週帰った時もうまく時間を合わせていろんな人に紹介をしてもらいたい。

そして夕方にはAndrea Modicaが教えているクラスの学期末のクリティークに顔を出す。一ヶ月前ほどに彼女が教えているプラチナプリントのクラスはギャラリーを訪れて栗田さんの作品を見に来た。その時も生徒各自が作品を持ってきて中間のクリティークを行った。昨日のクラスでは同じ学部で教えている学部長のPaul RunyonやAmanda Tinkerも一緒に顔を出していた。

彼女とは帰りに20分位学校から彼女のアパートまで歩きながら来年の計画の話をする。彼女とは今回行った能登への旅行でAndreaが教えるワークショップを付け加えられないかという事を話す。そしてその機会を利用して日本で日本人を対象にしてワークショップなどを行う計画を立てている。そんな事から彼女のボーイフレンドであるSteveの出版ビジネスの事やPhoto Eyeの人を紹介してもらう事まで。20分では足りない事ばかりだが彼女も忙しい人なのでこのように会える時に内容の濃い話をする。

Andreaはかんだかい声で「Are you sure you want to do all of these on top of what you already have?」と笑いながら、ある意味あきれていた。そんなに寒い日ではなかったが5時半を過ぎていた時には辺りは真っ暗でフィラデルフィアの夜景に向かって彼女と一緒に歩いた。

よく考えると全ての話がアメリカで築き上げた人脈を伝って日本と結びつけようとしていることがはっきりする。後は具体的に動いてどこまで実現が可能かということを探ってみたい。

11/24/2008

久しぶりに大工仕事

日本に帰る日が迫ってきて忙しい忙しいなどと思っているにもかかわらずクローゼットを作るプロジェクトを始める。前々から頭の中でどのようなデザインをするか考えを巡らせてきたがなかなか実行に移せなかった。しかし今週は大工友達のMargeを呼び二人で作業を始める。

常にカウンタートップを作りたいと思っていたので壁から壁までのスペースを作る。そしてその下には洋服を入れる事のできる棚。上にはハンガーのまま洋服をかけられるようにする。前々から作りたいと思っていた横に長いパネルも作ることにする。

このようなプロジェクトを行う時は元々のデザインを基準にするが材料の選択を最優先で考える。今手に入るものの値段をみて最終的な事を決める。2週間前にNJにある材木屋に行ってどんなものが手に入るかを下見に行った。この材木屋さんとは長い付き合いでこのビルの工事をした時から利用している。

元々1x4のLuanを買いたかったが値段がかなり上がってしまった。そこでオーナーのPaulにプロジェクトの話してみるとMohagonyのCove moldingが山ほどあると言ってきた。20年位動いていないものらしい。値段もLuanの半分以下という事でcove moldingを使う事にする。後はBirch Plywoodを8枚ほど使うサイズに縦長に切ってもらい搬入してもらう手配をする。

後はハンガーをかける所は前々からガスパイプを使おうと思っていたので友達のSteveの所に行って鉄パイプの切り方を学ぶ。なれない機械をいじりながらなんとかパイプを寸法どおり切る。大きな音でとても馬力のある機械は少し怖い。

残りはMargeと二人で五日間いろいろアイデアを出しながら作業を進めて行く。このように作業をする時はMargeと夕食の時までこうした方が簡単で効率がいいという話を延々とする。このようにお互いに持っている技術や感性を信頼できる人とアイデアをバンウスオフできるこんな時間が一番楽しいのかもしれない。

火曜日から始まった作業は日曜日の朝には100%完成ではないが、一応使える状態になっていた。下のスタジオにはまだまだこのようなプロジェクトが沢山残っている。









九州- 長崎、島原、五島

九州では一転してカラーで6x12のフォーマットを使い撮影する。前にも書いたがこのフォーマットはJohn Pfahlのレクチャーを見てから使い始めたものだ。4x5のカメラにバックをを付けて撮るものである。

長細いフォーマットに慣れた今では4x5や8x10を横長に撮るのが不自然になってきている。この頃6x12出さえ横幅が狭いと感じ始めた。

五島はかなりきれいな所で沢山写真を撮った。能登で2週間過ごしていたので見るものがすべて新しいという感じではなかったが一番撮影をした所である。前々から島での生活に憧れている。なぜか陸続きでないという感覚を実感できるのがいい。来年の5月の旅行の人が集まれば又五島に訪れることになる。その時は7x17を持って行く。

そんな事も含めて場所を限定しない方法でビジネスを行いたいと思ってきている。そんな視点から便利堂のことやProject Bashoの運営を考えるようになった。今回の旅行を機に新しい事がどんどん始まって行く。

後は輪島と珠洲での写真のベタ焼きが残っている。










11/11/2008

蛸島

やっとの事で日本で撮った写真を現像する。今夜は旅行に参加した人たちがギャラリーで写真を投影するイベントを行う。なかなかイベント続きで忙しく自分の写真に費やす時間などはなかった。

今回12年ぶりにまとまった時間を日本で過ごした。去年12月に帰った時は時間が短くあまりにも忙しく振り返る事などができなかった。しかし今回金沢や能登そして九州を旅行しreflectionの時間がとてもあり、その時間をとて楽しむことができたと思う。

今朝のNY Timesの記事にLeave of Absenceを仕事からとる話があった。アメリカの教員の仕事ではよくある話で1年間の研究の為の有給休暇である。もちろん普通の会社で働いている人はこんなことはできないのだろう。この夏までは正直言って仕事にどっぷり浸かりすぎていて長い時間働いているのだがプロダクティブではなかった。僕にとって今回の旅行はLeave of Absenceみたいなものだった。

以下は蛸島のお祭りで撮ったポートレート。お祭りに参加しているしている人に声をかけ撮影させてもらった。撮影している時は老若男女と考えていたのだが結果的に見ると若い人が多い。若い女の子などはどうしてもピースサインなどを出してしまうのだがそこは「ちょっと自然にカメラの方をじっと見て」と。「素直」とでも言うのだろうか、みんないい表情をしている。

そしてこのように訪ねた地で人に会う度に思った事の一つに、僕がアメリカに渡らずにあのまま日本にいたらどのような人になっていたかということがある。どのような日本のサブカルチャーに属して、どのような容姿、そしてどんな友達と時間を過ごしていたのだろうかと。どこに住んでどんな仕事をしていたのだろう。このような表面的な事から自分の夢やアイデアまでを含む中身まで。

そんな事を考えながら同時にこのアメリカでの12年間はどういう意味を持っているのだろうと思いを巡らせた。そういう意味で今回のイメージは「作品」などという以上の意味を持つことになる。

もちろんネガを見ながら、「8x10を持ってこれば…」や「もっと撮っていれば…」などと小さな事も思うのだが…。来年は8x10とアシスタントを。


















10/19/2008

いろいろと準備中

日本から帰ってきてから毎日のように駆け回っている。

この二ヶ月ほどはイベントが沢山計画されていて一つ一つの準備に時間をかけている。Olgaがイベントコーディネータとして大体の事は進めているが一週間に一日しか来ないので全ての事をまかなえる訳ではない。Olgaが終わらせられなかった事を一つ一つ片付けて行く毎日。

その一方で来年行われるONWARDのコンペの準備をしてきた。このコンペは去年から始めたものでこのギャラリーの最初のショーである。去年の審査員としてAndrea Modicaを選び、最初の年にも関わらず300人近くそして写真の数としては1,200を超える作品が集めることができた。その中から59の写真を選び1月と2月にショーを行い、1月に行われたオープニングには200人もの人が集まった。

今年の審査員としてフィラデルフィア美術館のキュレーターのPeter Barberieを選んだ。Peterとは5−6年前に写真の歴史のセミナーをとった事を通して知り合う。彼がフィラデルフィアに来てから直後にこのようなレクチャーのオファーを受けたのだろう。それから写真のイベントでよく会うようになり、いつもアルビューメンのワークショップを取りたいと言っている。

ところでこのセミナーでは今では写真友達のJimとも知り合い,そしてGallery 339を営んでいるMartinとも顔を合わせることになる。今考えればすごいメンバーであった。さすがフィラデルフィアの写真界はとても狭い。

今年はどんな作品が送られて来るのか楽しみである。締め切りは来月14日である。

9/21/2008

旅は道ずれ…

暑い中、九州の旅は続く。

長崎で観光課の人にあった次の日には島原まで足を伸ばす。市の観光課の人の案内で3時間かけていろいろと紹介してもらう。島原は観光地がさびれた感じでなかなかいい。宿泊施設があればこんなのどかな場所も良いだろう。

次の日に長崎にまた帰り朝のフェリーで五島列島へ。福江島では紹介された五島バスの真鳥さんがガイドとして二日間車で丁寧に島を隅々まで案内してくれる。普段観光では行かない所なども回ってくれて、島の生活を見ることができた。

途中島原で一人で旅行をしている83歳のおじいさんと会う。彼は19歳の時に徴兵で天草の小学校で終戦を迎えたようで、その地を訪ねる為に今回旅行しているとのこと。熊本から天草に入り、島原城のお堀ので写真を撮っていた僕と出会わす。昼間っからビールを片手にふらふらと歩いていた。

その後一緒にお昼を食べ、島原から国見による。長崎で同じホテルに泊まり、五島列島まで一緒に旅をす事になった。一度は行きたかったと言っていたので、一緒にどうかと誘った。

耳が遠い為会話のボリュームが少し大きい。人に迷惑がられるのをしょっちゅう気にしているので、僕が「そんなの順番で、皆いつかそうなるんですよ」と。

昼は暑い中一緒にいろいろ見て回り、夜は居酒屋で飲む。こんな感じで道中の連れができる日が2日続く。一見不思議な二人組であるが、旅は一人より二人の方が楽しい。

9/17/2008

一路、西へ

金沢から帰ってきてあまり休む間もなく今度は九州に向かう。

午後は京都で下車をし便利堂で鈴木さんをはじめコロタイプ印刷に関わっているスッタフに会う。スタジオを見学させてもらい技術的なことやこれからの企画でできそうな事をいろいろと話す。なんだかんだ言って3時間ぐらい長居をしてきた。

やはり便利堂の持っている技術の高さを実感する。みんなが職人としてやっている事に誇りを持って一生懸命に仕事をしているのには感心させられた。そしてここは本当に何から何までがアナログである。この時代ここまでアナログで大掛かりにできる所がすごいと思った。

そして便利堂は技術的にもいろいろ新しい方法を模索してコロタイプ印刷の新たな可能性にも挑戦している。技術の山本さんと話した事にカラーでのグラデーションの話があった。はやり写真を印刷する以上この問題は技術的に重要な点である。

そしてコンセプト的に重要な問題点もある。春にレクチャーに来てくれたJames Hajiackさんも言っていたがコロタイプは繊細な描写ができるが為に犠牲になった技法であるということを常に言っていた。とてもきれいに描写ができるが為にどうしても「高級印刷された複製」ということを逃れられなくなってしまう。

ここがフォトグラビュアーなどと差ができる所だろう。フォトグラビュアーなどは版画としての独自の良さという所から評価され利用されている。つまり元々印画紙でできている作品をフォトグラビュアーで複製を作ろうなどという考えは全く起こらない。グラビュアーでしかできない作品を作ろうというのがそもそもの狙いであるからだ。

そこがこれからコロタイプを使い写真を作っていく上で重要な課題になる。これは技術の山本さんも認識していることでありこれからの応用方法を考えていく人も作品のコンセプトとして必ず取り組むことになるだろう。これから答えを模索していく事になる。その為にJames Hajiackさんのところにコロタイプを学びに行こうと再度考えた。

9/12/2008

朝昼は撮影、夜は温泉とマッサージ

金沢ではフィラデルフィアでのショーの準備で朝までスカイプで話す。おかげで時差ぼけも直らず一日5時間近くコンピューターの前で時間を過ごした。さすがに写真なんか撮る余裕も無い。

輪島についてからは一転朝5時に起きて町の中を周り写真を撮り始める。一日で20枚近く撮影する。朝に2時間ぐらい散歩をしながら港の周りにある漁師の住んでいる地区で撮影をした。そして日中は皆と車で行動する。海岸線を西に南に走り田園風景や小さな漁村の様子などを撮る。

行く所行く所静かさに驚くが、田舎は良いなとつくづく思う。次回にもう少し長期滞在する為の方法を探ってみたい。

9/01/2008

体力勝負のアナログ

今日から金沢/能登が始まる。今日到着する人を成田に行く為昼に先週から東京で滞在しているTomと浅草のホテルで待ち合わせ。

先週の火曜日から東京にいるがいろいろ会う人がいて毎日出歩いている。西丸さんのサイトで知り合った人達と新宿で飲みにいったり、今回使うカメラを借りに行ったり、高校のからの友達と朝まで飲んでいたりと何せ毎日忙しい。その為旅行の準備ができていなかったのが正直な所である。

朝早く起きてフィラデルフィアとの電話を済ませ早速パッキングを始める。日本のいるとこの気候の為毎日汗の量がすごい。なので洋服の量が少しかさばる。後はカメラの機材関係をつめ始める。4x5と7x17とを詰め、必要なフィルムやらホールダーやらと。そして金沢に持って行く写真なども。こんなことをしていくとてつもなく荷物が多くなっていってしまった。

バックだけでも4つ。そして三脚も持って行かなければならない。そしてこの二つのケースを台車につけるとこの写真のようになる。さすがに重さを量るなどはしなかったがかなり重い。正直言ってこれからの旅行が少し心配である。

昨日新宿で会った久保さんの「アナログは体力ですから」という言葉が頭の中を巡る…。

8/23/2008

準備

忙しい忙しいと思いながらも気を休める為にフィルムの現像をする。暗室作業は一種のセラピーである。

何せ日本に一ヶ月も帰る為今はとても忙しい。そしてこの忙しい時こそ、忙しさの為仕事が捗らなくなってしまう。全くどこから手を付けて良いか分からないくらいになる。

今回の旅行に合わせてブログも始めた。旅行の話や日本の文化、そして写真に関係することを書いていこうと思っている。こんな方法でいろんな人が興味を持ってくれればと思う。

しかし11年も帰っていなかった日本に今年はこれで2回目。12月にもまた戻ろうとしているので今年で3回訪れることになる。今までずーっと離れていたため逆にこのようになるのであろうか?

日本での予定も既に詰まってきている。一ヶ月はあっというまに過ぎるのだろう。

8/02/2008

Photo Reviewとフィラデルフィアの写真

今日はKevinと郊外のLanghorneという車で40分ぐらい行ったところにランチミーティングの為に向かう。Photo ReviewのStephen Perloffに会いにいくのが目的である。

Photo ReviewはStephenが始めた写真界では筆頭のジャーナルで、70年代に草の根的に始めた。その頃はほとんどと言っていいほど写真に対しての情報がなかった為、彼が一人で情報を発信しようと思ったらしい。今ではアメリカの写真を通じている人が必ず読むジャーナルになっている。

僕はいつからStephenとこのようにやり取りするようになったのか覚えていない。しかし数年前から何かあるとStephenの所のこのように会いにいくようになった。今年はこれで3度目であろうか。

さすがに写真のマーケットが無かった時から写真に関わっているためStephenの顔は広い。前回のAIPADなんかでも会場で出会ったがいろんな人に囲まれていて挨拶すらできなかった。今回も9月に行われる栗田さんのプレビューを招待者のリストをもらう為にこのように彼のオフィスを訪ねる。

Stephenはとても面倒見がよくいろいろと手伝ってくれるのである。コンタクトの提供から新しいアイデアに対しての意見などを気軽の述べてくれる。フィラデルフィアで僕たちのように写真について積極的に新しいことを行おうとしている所はほとんど無い為、面倒を見てくれるのだろう。なにはともあれいつでも気軽に話すことができるのでとても心強い存在である。

2-3年ぐらい前にB&Wという雑誌がPhiladelphiaの写真のシーンについての特集をしていた。フィラデルフィアではあまり写真のシーンというものが確立していなく、問題点としてインタビューをした人が口を揃えて上げていたのがNYに近すぎるという立地条件である。NYに近い為写真を売ることのできるマーケットが育たないというのである。

僕はそれとはまた違った理由があるような気がしてならない。

フィラデルフィアはアメリカの写真史の最初のページにはいろいろと名前を連ねているが20世紀になるとNYの経済力に押される形になる。19世紀にはPhiladelphia Photographerという雑誌が刊行されていて、今ではWet Plate Collodionを研究している人のバイブルになっている。「フィラデルフィア=歴史」みたいな構図がこのような所でも残されている。

いつも思うことだが歴史があるということはよくもあり悪くもある。前の世代からの一貫性みたいなものに頼ることができる一方、どうしてもそこから離れることが難しくなる。逆に歴史のあることに頼りすぎていて新しい考えなどへの許容性が無くなり、「村的」とでも言うのだろうか閉鎖的になる。その例としてフィラデルフィアはprovincialであると形容されることが多い。

勝手かもしれないが、その点現在フィラデルフィアにいながらフィラデルフィアまたはアメリカ出身ではない僕なんかは良い立場にいるのではないかと思う。そこで重要になってくるのが古い物と新しい物のバランスなのではないかと考える。そしてこのバランスを保つのがとても難しいのである…。

7/29/2008

日本への撮影旅行

金沢への旅行が決行されるとこになった。

クラスを取ったことのある人を中心に5人が集まってくれた。最近クラスを取った人から数年前からの人といろいろとProject Bashoで知り合った人ばかりである。9月にこの5人を引き連れて金沢/能登をまわることになる。

金沢と珠洲では地元のアマチュアの写真家達との交流を図るためプリントを見せる機会を設けている。金沢の永江さんと珠洲市の観光課の人達が下準備をしてくれている。本当にこのような人達の助けがなければこの旅行は成り立たなかった。

このようにフィラデルフィア写真紀行のブログを書き続けているが、金沢の旅行のブログも更新していく予定である。旅行に行く前から金沢の紹介やあった人の紹介など、もちろん旅行中に起こったことなどを実況中継していくものである。今回の旅行をもっと詳しく知ってもらおうという趣旨である。既に何項目か下書きが済んであり、今はブログのテンプレートのデザインなどを手がけている。

そして今回の滞在中に来年に行う新しい旅行の下見もしてこなければならない。今の所は九州に行こうと思っているが他の候補も考えている。あまり時間がないので正直言ってどこまで見ることができるか分からないが、できるだけのことはやってこようと思っている。

まだまだ細かい詰めが残っているが今回の旅行の経験をバネにして次の旅行を計画してきたい。

7/16/2008

グラントライティングの一日

今日は朝から物書きをしている。

アシスタントのKevinと午後から手伝ってくれるNaokoちゃんを動員して、グラントの申し込みを一日で済まそうとしている。このグラントは2−3日前に友達から聞いたもので、一般に公開できるアートイベントに対して最高$3000の補助金がペンシルバニア州からおりる。しかし今日の消印で申込書を送らなければならない。

基本的にはこの写真展の趣旨について説明し、どのようにして一般参加者を募るのかということを説明する。後は細かい出費と収入の表、そして実際のショーの一部になる写真を使いパワーポイントのスライドショーをつくる。一見何ともないような申し込み方法であるが、何せ急なので全てを一片に終わらせようとすると時間がかかる。

来年の春に行うショーの準備を先月から始めた。このショーでは僕が預かっている1950年代に日本で撮られたイメージを見せるという物である。これは通っていた小学校の警備員さんのもので、アマチュアカメラマンとして戦後から写真を撮り始めた。僕が写真を始めたのも彼の影響があったからである。

日本を離れる前に一度昔の写真を見せてくれたことがあり、前にコンタクトシートを作らせて欲しいということを伝えたらネガをまとめて送ってきてくれた。その時は時間がある時にベタ焼きを作ろうと思っていた。そのネガがスタジオに手つかずのままある。前々から何らかの形で見せたいと思っていて、ここに来ていいアイデアに巡り会った。

Phillipという暗室の使いに来る年配の人がいて、毎回のように結構面白い写真をプリントしている。1950年代のフィラデルフィアで撮られた物が中心で町の様子人々のポートレートなどと幅が広い。彼もどちらかと言ったらアマチュアとして写真を撮ってきた人でフィラデルフィアを気さくに撮ってきているので写真に新鮮さがある。

今回のショーのアイデアはこの二人の写真を同時に見せたらどうかというものである。歴史的な観点からも面白いと思うが、僕は文化の背景による写真家の視点の違いみたいな物を見せることができないかと考えている。この二つの戦後の都市で撮られた写真を見るとお互いに物質的貧しさなど似た点はある。だが写っている人に対しての距離感や写真全体の雰囲気みたな物が違うように思える。「視点」みたいな形成された物ではなく文化の違いに寄る「姿勢」みたいな物なのではないかと考えている。

少し写真のショーとしては傾向が違うが面白い企画展になると思う。

Photo by Kiyoshi Yamazaki

7/14/2008

NYギャラリー巡りとFOTOSPHERE

今日は朝から生徒とのギャラリー巡りの為NYの方に向かう。

今回の参加者は少なく小さなグループで美術館やギャラリーをまわる。普通ギャラリーは夏休みを取り土曜日はほとんどのことろが休みになる。なので今回はかなりよる所が数少ないツアーになった。

最初はICPでの日本人のショーから始める。2ヶ月前のオープニングに顔を出したがさすがに作品をしっかり見ることができなかった為今回は時間をかけて作品やインタビューのビデオなども見る。時間をかければなるほどと思う作品もあるが、どうしてこうなのかと思う作品もある。

ちょうど一ヶ月ぐらい前だろうがNY Timesに批評が載っていて、いろいろと問題点を指摘してた。興味があったのはどうしてこのような作家の選択になったという理由が書かれたエッセーが欠けているという点である。この「理由」は僕もとても興味のあるところである。

この後はRubin Museum of Artとという比較的に新しい美術館による。ここはアジアの美術品を集めている所で前回によった時はKenro Izuの作品を紹介していた。今回展示してあった物はKevin Bubriskiという写真家でネパールからの写真である。ポートレートを中心にした80年代の作品でなかなか力強いイメージがある。

Chelseaに寄ってみたが開いているギャラリーは4−5件しか無い。比較的新しいギャラリーでPoint of View Galleryという所に初めて寄ってみる。しかしこのようにギャラリーが突出するNYの背景というのはすごい。去年のギャラリーの地図と比較した物を見てもらえばわかるが、数年前に比べたらChelseaのギャラリーの数は確実に減ってきている。しかしその傾向の中で新しいギャラリーを始める人がまだいるのである。

こちらではフランスの写真家が工場などの廃墟を撮った写真を見せていた。カラーで撮られた写真は大きなプリントとして飾られている。なんかいつも思うことだがなぜこのように決まりのパターンなのだろと思う。

参加した生徒たちと別れた後にFOTOSHPHEREに寄る。9月に行われる栗田さんのショー、そしてショーが行われている間に企画しているレクチャーとワークショップの打ち合わせをする。9月のオープニングとプレビューの時は僕は日本にいる為に全ての段取りを済ませていかなければならない。OlgaやKevinのことを信用する一方少し不安である。

その後は近くの居酒屋で新たな企画の構想を話す。前々から機会があるたびにどうしたら便利堂のコロタイプの印刷をうまく利用できないかというアイデアを栗田さんと柴田さんと話してきている。今年のコロタイプのショー以来、コロタイプの良さと、利点をうまく使った企画を行いたいと前々から考えている。300枚近く刷れるという所に利点があり、エディションがあるプリントというよりは、高級印刷物としての企画にしたい。そしてこのプロジェクトの為に新たな会社を作る予定である。こんな構想を2時間以上話をした。

フィラデルフィアに着いた時は夜中の12時になっていた。今年は毎月に一回はNYに来るようになったふと思う。

7/06/2008

秋からの写真ジャーナル

先月からFeatured Photographers at Project Bashoというインタビュー形式のコラムを始めた。

これはボランティアのJessicaが担当しているコラムで、毎月Project Bashoに関係している写真家にインタビューをして作品などを紹介しようとしている。暗室を使っている人、ワークショップを教える人、そしてギャラリーでショーを行う人などを幅広く紹介しようというのが目的である。

毎月それぞれの作品を見ながらJessicaと二人で質問を作り上げ、紹介する写真家とメールでやり取りをする。返事が返ってきたらその答えをもとに新たな質問を聞く。こんなことを何回か繰り返しているとインタビューが出来上がってくる。実際に作品を目の前に会話をしたいのだが、今はそこまで時間をかけることができない。

先月はGenevieveという暗室を長い間使っている写真家にインタビューをした。彼女は暗室を使っている人の中でも一番頻繁にスタジオに来る。一時期は週に2回ほど来る期間が数ヶ月続いた。被写体としては、毎年夏にギリシャの方へ戻り撮影してようだ。彼女の家族が元々ギリシャからの移民で、自分とつながりのある被写体を撮影している。

このようなコラムを始めたのも、前から小冊子を作りたいと思い続けている。いつの頃からこんなことを考えるようになったのか覚えていないが写真を始める前からこんなことを薄々と思っていた。小学生の時は学級新聞を作るのに一生懸命になっていた。そして同じ頃にいろんな雑誌からの切り抜きを貼付けた原稿用紙をコピーをした手作りの「雑誌」を作っては友達に販売していたこともある。今思えば完全に著作権などを無視している「雑誌」だった。

写真をやるようになってからこの思いはもっと強くなったような気がする。というか写真と出会ったことによって雑誌の内容が定まった。日本にいた時も町端で売っている写真の小冊子を買ってはいろいろとアイデアを練っていたことを覚えている。

同じ頃にとても刺激を受けたのはDejavuとの出会いである。この雑誌のことを知ったのはちょうど日本を発つ時だった。すでのに出版は終わっていて、恵比寿の写真美術館のショップでお金が許す限りバックナンバーを買いあさった。そして彼女が日本に帰る度に手元に無いバックナンバーを買ってきてもらっていた。

Dejavuの写真のクオリティー、幅広く選択された写真、写真の分野と関係ない人が書いていた文章などがとても刺激的だったのだろう。印刷などにも気配りをしている所などもとても気に入っていた。そして中でも一番に強く感じたのは写真家の作品ををテーマによって選び、文章を集めるという「キュレート」という作業を初めて知った。今までカメラ雑誌しか見たことがなかった僕には全く新しい可能性を見せられたアプローチだった。

そしてDejavuを通してProvokeのことを知った。Provokeのほうは小冊子のコンセプトについて影響を受けたというより、一緒に活動していた関係みたいな物にとても興味があった。いろいろとバックグランドの違う、どちらかと言ったら性格の濃い人達が集まるということによって生まれるエネルギーみたいな物に力を感じた。

ここに来ていろいろ考えてきたことが一緒にできそうな人が周りに現れてきた。この小冊子のコンセプトなど全く方向性が決まっている訳ではないし、どのような媒体としてdistributeしていくかなど考えていない。この秋から近い将来この小冊子につながる物を、気があった人と一緒に、焦らず少しづつ始めていきたい。

7/03/2008

箱に入った写真

スタジオのオフィスを整理していると8x10の箱一杯に詰まった写真がでてきた。

開けてみると古い写真が入っている。大体6年ぐらい前のもので回りにいた友達を撮った物だった。掃除をしている途中なのだが一枚一枚写真を見始める。

今思えばこの頃はひたすらポートレートを撮っていた。友達や周りにいる人のことを片っ端から撮っていた感じであろうか。日本人の友達も沢山いてずいぶん撮影した。今ではこの時の友達はフィラデルフィアから離れていってしまって残っている人は二人ぐらいしかいない。

中盤のカメラで撮っていた物でカラーも白黒もある。この頃はラボで働いていた為プリントをするのがとても身近であった。確かこの辺りにポートレートに使おうとして8x10のカメラを購入をした。8x10でカラーなんかも撮っている。

この赤いバックグラウンドの写真は妹のようなPraeである。変な関係だが僕の前の彼女の最初の彼氏の妹である。不思議なことにこの4人の中でPraeとは連絡をとっている。フィラデルフィアにあるUniversity of Artsという美術大学に通っていたのだが、最終的にフィラデルフィアに来たのも僕たちとの接点があったらであろう。今ではバンコックでデザインの事務所で働いて、今年の終わりに訪ねようと思っている。

このように人の写っている写真を捨てるのはとても難しい。今になっては特に気に入った写真でもないし、プリントとしてもどうこうではないのだが、捨てるということができない。掃除をしているのだがどうも掃除が進まない…。

こういう時に「いい写真」という物の意味が、時間が経過することによって変わることを感じる。撮った時は、良い写真かどうかを必死になって選ぶのだが、時間が経つことによって「これもありか」と寛容的になる。とても不思議な感じである。

6/28/2008

スタジオの運営

スタジオのすぐ近くにあるQuinceという小さなお店を開いているNicoleと立ち話をした。

お母さんの援助で始めたQuinceはお昼のサンドイッチやコーヒなど簡単に軽食できる物から、スペインのサラミやチーズなどを売っているお店である。僕もワークショップなどを行う時に簡単な軽食やコーヒを持って来てもらっている。お店を開いてから1年ちょっと経ったであろうか、今では近所に住んでいる人が立ち話をしていく店になっている。

Nicoleはこのお店をほぼ一人で週6日開いている。朝のパンなどの受け取りから始まり、一日中お客さんを相手にしている。そして夜は夜で帳簿をつけたり新しいビジネスのアイデアを練っている。これを一年間以上毎日の様に続けて来た。

金曜日の夜に近くのバーにキューバの音楽を演奏するバンドを見に行こうと誘った。彼女はお父さんがスペインの人で彼女もスペインに住んでいたこともあり興味があると言っていたが、今日は疲れていて余裕が無いとのことである。そして今近くに小さなカフェを開く計画をしているということを話くれた。なんでも一人でやっていることに関心する。

話を聞いている途中思ったのだが彼女のビジネスと僕のビジネスの違いを考えさせられた。両方ともビジネスとして経営しているのだが、最終的な形としてどうしても違う。彼女のビジネスはやはりビジネスであり、僕の場合は少し違う。

最近Project BashoのAboutページを作った。Project Bashoの趣旨と手伝ってくれている人の名前を連ねた。数えてみるとボランティア人数が今ではなんと18人もいる。最近いきなりここまで増えたのだが、今では毎日朝から夜までアシスタントとして誰かがスタジオで手伝っている。

ボランティアの人が手伝ってくれる作業は幅広い。まずは毎晩暗室の面倒を見るモニターがいる。薬品を混ぜたり暗室の整理整頓をしたり、そして生徒や暗室を使う人の相手をしてくれる。Jessicaなどをはじめ一年以上続けている子が数人いて、一年続けてくれると気に入りそうな写真集をプレゼントしている。このようにモニターが毎日いるからこそクラスがない時にスタジオからはなれることができる。

最近の加わったボランティアはオフィスの作業を手伝ってもらっている。主にリサーチを中心にどうしても時間がかかることを一人一人プロジェクトとして与えている。作業としてはマーケティングの下調べをする人や、アメリカ中の写真学部のある学校のリストを作る人などがいる。少しテクニカルなことになると、重要なキーワードが検索に引っかかるようにリサーチをしている人や、印刷物やサイトの下デザインを行う人など本当に幅広い。今回の金沢へのツアーについて細かい情報集種を行っている日本人の子までいる。

中でもOlgaなどはEvent Coordinatorというタイトルでスタジオで行われるイベントの下準備を手伝っている。今は9月に行われる栗田さんのショーで行う特別イベントの準備と、10月に近くのNexusというCo-opギャラリーで行われるショーと関連して行うスタジオでのパネルディスカッションのイベントをメインに準備している。最近加わったAnneと一緒にスポンサー探しからマーケティングまで全般に扱う。

Nicoleと話していた時に思ったことはどうして僕のビジネスには18人も手伝ってくれる人がいて彼女のお店にはボランティアがいないのだろうかということである。この違いというのがお互いのビジネスとしての根本的な違いの現れではないか思う。

6/13/2008

理想とビジネスの両立

昨日は13時間会計士とミーティングを行う。朝の9時半にオフィスに行って彼女と一緒にオフィスを出た時は10時半だった。こんなに長居するつもりは無かったがこういう成り行きになってしまった。そしてこの間休みはほとんどと言っていいほど無く、彼女とひっきりなしに話をした。

去年の税金の計算をしながら収入と支出を見てビジネスのどの部分が実際にお金を生んでいて、どこでお金を失っているかということを徹底的に計算して調べる。コストをビジネスの部分に相当に割当て各部分が月にどれくらいの収入を得なければいけないのかということも割り出す。ビジネスとしてはとても大切なことである。

僕はそもそもこのProject Bashoを始める時に元々ビジネスとして始めた物でなく、どうやったら「文化」というものを生み出すことができるのだろうかという素朴な疑問を持っていた。ビジネスのように商業の中心ではなく、人が集まりその間に起こる「こと」に興味がありこのプロジェクトを始めた。正直言ってビジネスのほうは何とかなるだろうという感覚しか持っていなかった。

最初は暗室を作る為にスタジオ探しを行う。いろいろな物件を探したあげくもともと写真家がスタジオとしていたアパートを探し、そこに一番最初の暗室を作る。半分は自分が住む場所でその半分に暗室と作業場があった。クラスなどはキッチンで行い、僕のアパートはいつも人が出入りしていた。今思えばとても簡単な暗室だったが3年間も草の根的な活動のベースになった。

これだけではやりたらずに活動の幅を広げる為にビルの購入までする。元々こちらで不動産に投資したいと思っていたお母さんの援助を受け倉庫を購入する。さすがにこんなに時間とお金がかかることとは思わなかったが、その辺は無知であるということが逆にいいように働いてくれたと思う。

そしてビルの改装工事。元々大工作業に興味はあったが実際の経験などは無く、ましてビルの改装工事を最初からやるなんているプロジェクトは問題外だった。6年間放置されだいぶ痛んでいたビルの解体作業を最初の3ヶ月間行い、終わった時は屋根も無く壁が4塀あるだけの建物になっていた。こんな建物が形のあるもになるのかと疑ったことは何度もあった。昼間はこのビルで工事の仕事をして、夜はクラスを教えるというスケジュールが3年半ぐらい毎日のように続く。

運良く西海岸で大工をしていたMargeがクラスをとり彼女と一緒に作業をするようになった。アメリカの大工はちゃんとしたトレーニングを受けて行っている人が少なく、しっかりと技術を学んでいる人が少ない。そのなかでどちらかといったら徹底主義を持っているマージに会えたのはラッキーであっただろう。つくづく思うことだが彼女に会わなかったらこのビルの改装工事は終わらなかっただろう。金銭的にも精神的にもやっとのことで改築作業を部分的に終わらすことができスタジオを開くことができた。これが2年前になる。

このスタジオに移ってからはマーケティングをひたすらやって来た。どうやったらProject Bashoのことを知ってもらえるかということを考えいろいろながらサイトのデザインやメールでのニューズレターなどを行ってくる。Andreaなどを通して地域の大学とも関係を築いてきた。そして去年の秋にできたスタジオを中心にショーやイベントを計画してくる。これによって少しづつではあるがやっと人が集まるようになってきた。

よくここまで来たなと思う一方これからどうやってこのスペースをいかに保っていくかということを考えなければならない。何せ時間がかかることを行っているので、長い間活動することに意義があるように思う。この為にもビジネスとしてスタジオを運営していかないと先が続かない。この為のミーティングと思えば13時間は短い物である。

6/10/2008

コーネルキャパ

週末7x17に引き続き日本で撮った8x10を現像している途中にコーネルキャパが亡くなった知らせを聞いた。

承知のようにコーネルは戦争の写真を撮り続けたロバートキャパの弟で写真家である。正直言って僕はアメリカに来る前は写真家としては知らなかった。どちらかと言ったらロバートの陰に隠れがちなのだろうか。彼はこの前のオープニングで顔をだしたICPを創立した人としても知られている。

一度彼のアパートを訪ねたことがある。NYのプリンター、Teresa Engelのアシスタントをしていた時だ。彼女はRobertのネガをほぼ独占的にプリントしていてCornellのネガもプリントしていた。コーネルはキャパの本を出版する時に彼女をプリンターとして抜擢して、その時から一緒に仕事をするようになったそうだ。

彼を訪ねたのは出来上がったプリントにサインをもらう為である。場所はNYのphoto districtから少し離れている所にある高層アパートだ。南向きのアパートに入ると小さな部屋にコーネルと介護の人達がちょうど昼食をしている所だった。とても老いたコーネルが車いすに座っていたのだが僕が知っている写真とは全く違っていてた。

テレサはプリントにサインをしてもらう為に一緒に窓側に座る。彼は声を出そうとしているのだが正直言って何を言わんとするのか僕にはわからなかった。テレサは老人を介護しなれたようにコーネルと会話をしようとしている。

鉛筆を彼の手に渡すがしっかりと握ることすらができない。それなのにもゆっくりとプリントにサインをしていくコーネル。一枚一枚サインをするたびに彼の文字が崩れていく。テレサはそんなことも気にしないように彼を励ましていた。この日は体調があまり優れず4-5枚しかサインをすることができなかった。

テレサが隣の部屋に用を足しにいった間コーネルの様子を見ていてほしいと頼まれ、僕は彼の前の椅子に座った。半分意識が遠のいていくようなコーネルを僕はじっと見ていた。その間お互いに何も口にしなかった。

彼の座っている車いすに横に"Slightly Out of Focus"の本が重ねってあった。単行本で高校の時代に読んで影響を受けた「ちょっとピンボケ」である。その時に初めて英語のタイトルであることを知った。アメリカに来てからこの本のことなどすっかり忘れていたし、どうして写真を始めたなんて考えることさえ無かったように思う。今では実際に読んだ本がどこにあるのかも覚えていない。

しかしこの本がきっかけで高校の時に写真をやり始めたような物である。それから何年も経ったがこのようにNYのアパートの一室でその本を横にロバートの弟、老いたコーネルの様子を実際に目の前で見ている。なんとも言えない不思議な感覚だった。

この間10分も無かったような気がするがアパートの窓から入る南の光はとても暖かく感じた。

6/08/2008

最近の写真

最近どんな写真を撮っているのかと聞かれた。忙しくて特に撮っていると言うほど撮っていないのだが全く撮影をしていない訳でもない。

Philadelphia Grid Projectの撮影は相変わらず続けている。先月は町の北はずれに行って撮影をしてきた。町外れにある倉庫などが集まっている地区での撮影だった。この辺りは車の通りは多いのだが人の通りは全くと言っていいほど無い。撮影している間に一人の参加者が空きビルを見つけてたので中に入って2時間ぐらい撮り続けた。7x17で8枚ほど撮影する。

いつもなら4人で撮影に行くのだが、今回は地元のテレビ局が同行するということでいつもよりも多い人数で撮影することになる。毎回思うことだが写真を撮る人が8人も集まるとかなり行動に機敏さがかける。と言うことで撮影した所は一カ所のみ。今月からはもう少し少人数で動きたい。

そして最近ポートレートを撮り始めた。ポートレートは機会があればいつも撮っているものなのだがもう少しまじめなポートフォリオを作ってみようと思っている。ボランティアの人や友達の友達を紹介してもらって撮っている。自然光を使い白黒でシンプルにストレートに撮ってみようと思っている。

まずはBrandiとOlgaのことを撮った。Brandiはオフィスでブックキーピングを手伝ってくれていてOlgaはイベントコーディネーターとしてボランティアで働いている。

Brandiは夕方に強い西日が入るベットルームで撮影する。夏になるに従って日が沈むのが遅くなっていて夜の7時ぐらいでもまだ自然光だけで撮影できる。彼女は撮影されるのになれていなかったのか少し緊張している様子だった。4x5で16枚ほど撮影をする。

Olgaは天窓がある別の部屋での撮影。この部屋は東向きの天窓があり昼間まで直射日光がビームのように入ってくる。Olgaの顔に落ちてくるその光を追っかけるように彼女を撮影した。Olgaは緊張した様子も無く30分ぐらいの撮影で4x5で16枚撮影する。

その上にコロジオンでの撮影を加えたいと前々から思っている。こちらの方はストレートなポートレートでなく少し手を加えた物を作っていこうと思っている。今はモデル探しの真っ最中である。

いつもなら8x10で撮る所だがこのごろ4x5をよく使うようになっている。テキパキと枚数が撮れるのがよい。ただいちいち気に入った写真を撮るたびに8x10で撮っておけばよかったなどと思うのが困る所である…。

5/27/2008

ギャラリーでのイベント

この春からいろいろなイベントを企画し行ってきている。

何せギャラリーのスペースが完全に出来上がっているので人を呼びこむことをしなければならない。もちろんいろいろなショーを企画しているのだがそれだけではさすがに沢山の人を呼ぶことはできない。

4月にいくつかのレクチャーを企画した。前回のショーに関連してコロタイプについて講義をしてくれるJames Hajicekと、ワークショップの方はキャンセルになってしまったがDiana Bloomfieldもレクチャーをしに来てくれた。今回はギャラリーでの初めてのレクチャーであって足での方はまあまあだった。

そして写真関連の映画を見せるMovie Nightというイベントも始めた。これは集めたリストから写真関連の映画を上映して写真の社会での役割や使われ方というものを考えてもらおうという趣向である。見せようと思っているものはそんなに新しいタイトルではなく、あまり聞いたことのないまたは最近見ていないような映画を探そうとした。今回のタイトルはBlowupという60年代のサスペンス映画であった。

そして今回の中でも目玉なのはNEPというイベントだ。これは新人の写真家の作品を発表する場を作ろうというのが基でレクチャーを参加型の形でやってみてはどうかというものである。やはり写真家になろうと駆け出しの人は作品を発表する場所が提供されていない。もちろんギャラリーなどでもある程度の作品ができないと扱うこともしない。そういう新人写真家を呼んで作品のプレゼンをしてもらい観客から直接作品に対しての意見や感想を交換できる場を設けようというものである。

昨日初めてのNEPを行う。今回はEd DougertBrian Shumwayの新人作家を招待する。Edはかれこれ一年ぐらいProject Bashoに出入りをしている人でワークショップも一度とってくれている。Brianは今年の頭に行われたONWARDに参加して佳作をもらった写真家である。彼は今回のイベントの為にわざわざNYから参加してくれた。

Edはペンシルバニア州の東北に集中している石炭産業の足跡を撮影して来ている。今では廃坑になったところがほとんどなのだがその社会的環境的影響みたいなことをこのプロジェクトでカバーしようとしている。イメージとしてはその跡地から実際に炭坑のでの仕事で移民してきた人によって作られた教会などまでも幅広く撮って来てている。話を聞いているといかにこの被写体について造形が深く、そして自分で作品を作るということによってその歴史や社会背景などを知ろうという姿勢がわかる。彼はかなり長い期間このプロジェクトに携わってきている。

Brianは自分の育ったUthaにある小さな町に住んでいる子供たちの写真を撮って来ている。モルモン教の集まりで始まった町なのだが自分のお姉さんの家族がまだ住んでいるらしい。毎年彼らを訪ねては写真を取り集めているようだ。

今回のイベントは見に来ている人がいろいろな形で批評や意見を述べることを目的としている。僕たちは質問用紙を作ったりプレゼンテーション後の質問のやり取りを活発にするためいろいろ準備をして来た。初めてにしては両方ともの作品について活発な意見交換がされていたので内心ほっとする。

このようなイベントを行う時にいつも心配なのはどれくらい人が集まるかということである。毎回インターネットやメールを通して告知はするしいろいろな形でできるだけの宣伝はする。かなり面白いことをやっているとは思っていてもさすがに現代の人は忙しいのであろうか。今回は意外と人が集まり15人ぐらいギャラリーに来てくれた。時間はかかるかもしれないがこれから面白い新人を探していってもっと人が集まるイベントにしていきたい。

5/24/2008

Project Bashoのホームページ

昨日からひたすらウェッブサイトのコードを眺めている。

いろいろイベントを始めた為にスタジオで行われている一連の活動をウェッブサイトで簡単に知らせることが必要だと前々から思っていた。今までのデザインだとホームページからもう一階層入っていかないとスタジオで何が起っているかわからなかった。しかも各階層は暗室やらワークショップやらといろいろ分かれていて全ての活動を一目にすることができない。これを解決しようとしている。

基本的にホームページはとてもシンプルにできていてそのシンプルさがあまり人を惑わすことなくうまくいっていると思っている。そこにいろいろなイベントの情報を空白に入れていくのは最悪の方法であろう。何せ情報が整理されていないサイトほど見苦しいものはない。これはGoogleなどがホームページを変えない理由でもある。最初のページはシンプルで残しておきたい。

新しいページを作りいろいろなイベントの情報を載せホームページからリンクする方法がある。これは一般的で最も妥当な方法であるような気がした。ただ問題なのはホームページはナビゲーションとして機能していてここから訪れた人の興味のある部分に進むことができる。つまりこのホームページにまた戻ってくる必要がでてくる。そして僕はもっと瞬間的にイベントの一覧表を見せたいと思っていた。

リンクよりもっと瞬間的なものとしてポップアップウィンドウがある。クリックすることによって新しいウィンドウが現れるわけだ。この利点は最初のページがそのまま残っていることだ。ホームページがナビゲーションとして機能している以上これはとてもよい解決方法である。問題点はポップアップウィンドウはかなり悪用されて来た為見ている人がとても嫌う。

そんなことを考えている時にあるページにたどり付いた。このDirectoryというリンクをクリックすると同じページ内のアンカー先にページが動く。アンカーはよく同じページの中で使われているリンク方法で特に新しい方法ではない。しかしこのページの面白い所はホームページと一覧表の部分を離すことによってホームページを見ている時は一覧表はスクリーンの外にでていて全て隠れている。つまり最初のページのシンプルさをうまく保っている。その上同じページにある以上既にダウンロードが済んでいて、行き来するのに時間がかからない。これは正直言って思いも付かない方法だった。

このアイデアをサイトのデザインの手伝いをしてくれるMollyに伝えてみるともう少し高度で面白い方法探して来てくれる。Javascriptを使った方法でこのように動く。これは動き方がとても面白く1と0の感覚ではなくその途中がスクロールとして体験できるのがよい。早速スクリプトをダウンロードしていろいろ試してみるが僕にはちょっと無理だということにすぐ気付く。実際に自分のサイトに当てはめようとするとかなり難しい。僕はプログラマーではないのでなるたけ簡単な方法でしかものを解決できないというように自分に言い聞かせている。

今までの例を見ながら大体解決方法のアイデアはまとまって来た。こんなことをMollyとやり取りしているうちにもう一つの解決策を見たことを思い出す。サイトのデザインに使っているソフトを作っている会社がおもしろ方法でページを瞬時に変えることをしていた。Mollyにそのことを伝えると彼女は早速そのハックの方法をネット上で探して来てくれる。CSSとHTMLの組み合わせが結構複雑なのだがなんとかできるだけのことをやってみる。そのコードと睨み合うこと一日、新しいホームページができて来るのである。

乞うご期待。

5/21/2008

ICPでの日本の写真家展

前々からOmarが今回のICPでの日本の写真家展は面白いからオープニングにぜひ来いと誘われていた。最後まで悩んでいたがちょっと顔を出してみようと思い夕方のバスでNYへ向かう。

今回の展示はHeavy Lightというタイトルで現在の日本人の作品が幅広く紹介されている。「写真をやって来た」という人達と最近の「アートとしての写真」までいろんな作家が紹介されていた。正直言って日本の写真事情などは全くわかっていなくレファレンスのポイントがなかった為ある意味で新鮮に感じられた。こんな被写体をこのように撮っているのかと見させられたという感じである。

僕は前々から日本ではストレートフォトグラフィーばかりなのではないかと思っていた。自分も日本の写真雑誌を見て影響されて来た為そのように思うのかもしれない。そのもう片一方で最近のコンセプチュアル作品がある。これはどこに行ってもある傾向で写真が絵画やイラストレーションのように「作り上げられている写真」である。あまりにも簡単な分け方かたかもしれないが大まかな所ではそう外れてもいないと思う。このような両極端な写真が出回っている中僕が常に興味があるのは両極端ではなくうまくバランスの撮れた作品が作れないのかといことである。

今回のショーに昔から好きな写真家として鬼海さんがいる。浅草で長年撮っているポートレートの作品である。初めて鬼海さんの作品を知ったのは日本と発つ前だから13年ぐらい前になるだろうか。一度雑誌に載っていた写真を見て彼の本を購入した。僕は彼の作品を見る前にディアンアーバスの写真を知らなかったがこんなポートレートを撮る人がいるのかと思ったことを記憶している。

そんなことでオープニングでOmarに鬼海さんを紹介してもらう。この前電話で話した時にOmarは最近鬼海さんの写真を購入したことを話していたから顔見知りでもあるのだろう。思ったより静かな方で正直言って彼のなまりにちょっと少し戸惑った。マネージャーの方はいろんな方と話していて鬼海さんは少し場になれない様子だった。

前回買った「やちまた」の話や今回の新しい本の話をする。そんな話をしていると鬼海さんを話そうと会話に入ってくる人が一人いた。鬼海さんがマネージャーの方を見ると彼女は忙しそうに囲まれた人と話をしているので返事に困っていた。僕が彼の通訳ををしてあげるとチェルシーでも僕は有名なギャラリーのYossi Miloさんだという。鬼海さんの作品に興味があるらしくひたすら作品のことを聞いていた。

フィラデルフィアではあまり日本人で写真活動をしている人があまりいないのだがさすがNYということでいろんな人に紹介される。写真活動をしている人から歴史などを勉強していて将来キュレーターになろうとしている人など。NYは少し空気が違うなと感じる。「フィラデルフィアで活動をする意味とは?」などという問いがふと頭をよぎった。

中でも驚いたのは高校の時の友達に会ったことであった。彼女は今は写真家のアシスタントをしていてその人と一緒にNYに来たらしい。15年ぐらいたつのだがお互いのことがわかったのはすごい。

フィラデルフィアに帰って来た時には夜中の12時を回っていた。

5/19/2008

7x17と東京

昨日の夜からひたすら現像をしている。

土曜日に撮ったGrid Projectの写真をどうしても現像しようと思い現像を始めたら日本で撮った写真も現像し始める。 去年の暮れに撮った日本からの写真は4x5の現像は終わっていたが7x17と8x10の方はほとんど手を付けていなかった。今日朝早くからKevinが来る前に現像し始めて夕方彼が帰ってからまた現像を続ける。これで日本からの7x17は全て現像が済んだ。

今回日本に11年ぶりに帰って思ったことの一つにいかに道が狭いかということがあった。実際に帰る前は7x17で実家の近所の写真を撮りたいなどと思っていたのだが帰ってみるとあまりにも引くスペースのなさに驚いた。風景を撮るにはとてもなれて来ている7x17だがどのように東京の環境で撮影してよいか正直迷った。

一番最初に使ったのは西丸さんを芝浦のPGIに訪ねて行った時だった。PGIをでてから東京湾の方へふらっと歩いてでてみて運河とうねったモノレールのレールそして遠景に見える東京のビルという組み合わせを撮ってみた。それから湾の方へでてみるが写真を撮れそうな所がなく品川の方へ抜ける途中でまた数枚撮る。

次は大晦日に築地にカメラを持って行ったがさすがに人ごみで使えなかった。歩道橋の上で久しぶりに会った友達のことを撮りそれからその足で上野に行ってみる。なぜか西郷さんを撮ってみようなんて考えた。その頃には空は結構暗くなっていたのでかなり長い露光時間で撮影を続けた。そして上野の繁華街の写真も撮る。

年が明けてから友達の家に訪ねた時にまたカメラを持って行った。彼は高層アパートに住んでいるということでアパートから見える景色を数枚撮影した。フィラデルフィアでも撮っているように縦長とそして横長のパノラマを東京の高層ビルを中心に撮影した。この時は東京の大きさに飲まれるような覚えがした。

最後は帰国する前の日に五反田に住んでいるおばあちゃんの所へカメラを持って行く。小さい時から通っていたおばあちゃんの家のあたりを撮ってみようと思った。実家のあたりよりも道の幅が少し広く東海道新幹線が走っている線路もあるのでスペース的にもう少しゆっくりと撮ることができた。入り組んだ道を主に持っているフィルムを使い切る。

こんなように今回東京を7x17で撮影したのだが結構いいものが残っている。写真を撮っている時にこれは結構行けるという感触持ちながら撮っていたが実際に現像されたものを見ると余計に説得力がある。何を追っているかはっきりとはしないが何かいいものが写っているように思える。これは11年ぶりに帰ったからであるのかそれとも実際に何か形に成りうるものがあるのか?とにかくフィルムを沢山買ってもっと東京を撮影したいと思った。

4/30/2008

デゲレオタイプとフィラデルフィア

今日は朝からLibrary Company of Philadelphiaでキュレーターの人と打ち合わせをする。

今回初めて会うSarah Wetherwaxという方で2週間ほど前に彼女の方から連絡をしてきてくれた。去年の秋に行ったTintypeのポートレートセッションで同僚のキュレーターの人がスタジオを訪れてくれたのがきっかけである。

打ち合わせの内容としては来年の秋にDaguerreian Societyが フィラデルフィアで会合が予定されていてそれと同時期にLibrary Companyはデゲレオタイプのショーを行おうとしている。Library Companyでは自分のコレクションがある程度あり他の美術館から借りるデゲレオタイプを使ってショーを行いたいということである。そこでお互いに協力をして何か面白い企画イベントができないかということである。

いかにフィラデルフィアのギャラリーや美術館と足取りを揃えて街全体でデゲレオタイプに関連するイベントを行うかということを話す。僕の所ではコンテンポラリーのデゲレオタイプを見せようと考えている。他の場所も巻き込むことによってもう少し写真に接する機会を持ってもらえるので はないかと考える。そんなことをSarahと2時間ぐらい気軽に打ち合わせをする。

ダゲレオタイプと言えば前々からRobert Corneliusという人のことをいろいろ調べている。Corneliusはフィラデルフィアで1840年からほんの2-3年ほどフィラデルフィアでダゲレオタイプのポートレートスタジオを開いていた人である。写真に携わっていた期間は短いのだが彼が残した業績はかなり大きい。

フランスが世界各国にデゲレオのプロセスの詳細についての発表をしたのは1839年の8月である。このニュースは意外に早く世界を巡りフィラデルフィアの新聞にもすぐに 紹介された。そこでフィラデルフィアの造幣局に勤めていたJoseph Saxtonという方が9月には造幣局の建物から見える風景を撮るのに成功している。この写真はアメリカで最も古く現存するデゲレオタイプとしてLibrary Companyの隣にあるHistorical Society of Pennsylvaniaに残されている。

CorneliusはSaxtonからデゲレオタイプのことを教わり自分で研究を始めた。ペン大学の化学教授と一緒にアイオダインを加えることによって露光時間を1分以下に短くすることに成功するのである。そして同じ年の秋に一番最初に撮ったと言われているのがこの写真で自分のことを写したセルフポートレートである。これは今ではアメリカで最も古いポートレートの写真とされている。

当時のフィラデルフィアはデゲレオタイプに対して積極的に技術を取り入れ完成度を高めて行った。1840年の春にはCorneliusのスタジオを始め2-3件のデゲレオタイプスタジオが既にあったらしい。フィラデルフィアの技術の高さを裏付ける話としてデゲレオタイプを広める為にフランスから送られて来たデゲレオの使者は フィラデルフィアの写真家の話を聞いていて立ち寄ることをやめたようだ。

僕が一番興味があるのはどうしてポートレートを撮ったかということである。デゲレオやタルボットなどの写真を見ているとどうしてもStill Lifeの写真が最初にでてくる。もちろん技術的な限界という点から撮られたのであろうがCorneliusは最初から違っていた。どうして最初にカメラを向けたのが人物だったのであろう。

この写真を見る為にDCにあるLibrary of Congressを4年前ほどに訪ねた。この写真の裏には"The first light Picture ever taken. 1839"という刻みがあるらしく僕はどのような文体で書かれているのがとても興味がある。手書きでかかれているのだが彼の書体を見てみたい。これを見ることによってかれにもう一歩近づけるような気がしてならなかった。その時には裏までは見せてと頼む勇気はなかったが今でも想像を巡らしている。

キュレーターのCarol Smithさんが丁寧に彼のセルフポートレートを始めCorneliusのデゲレオタイプを見せてくれた。元々はフィラデルフィアにいたコレクターの手にあったものだったのであるが彼女がなくなった時にLibrary of Congressに寄付されることになった。 こんな写真がフィラデルフィアに残っていてくれたらと思うのが…。

密かに今回の大きな目的として今回の関連のショーでこの写真をフィラデルフィアに持って来きたいということがある。

4/25/2008

これからの作家/作品

Kevinと昼食から帰ってくるとメッセージが留守番電話に残っていた。Susanという女性からの電話であった。

彼女は面識がないのだが一ヶ月ぐらい前にワークショップがNJにある写真センターで行われそこで彼女の作品を見る機会があった。彼女の作品がとても気に入ってスタッフの人に僕の方に連絡をしてくれとカードを渡してきた。Project Bashoのギャラリーで作品を見せて欲しいというのが僕の思ったところであった。

少しずつではあるがこのような何下もない機会に目に留まった作品を見つけるとこちらから積極的にコンタクトを取り始めている。これからギャラリーで発表していく作品を集めているのである。

気に入るものに特に決まったものはないのだが一番重要なのはプリントなどを含めての「クラフト」と自分で閉じ込めようとしている「感性」みたいなもののバ ランスがとれている作品を探している。後欲を言えばプリントを見たときにプリントとしての「愛らしさ」みたいなものがあると余計いい。

とても抽象的に聞こえるが実際にそのような作品に出会うとその時に自分が探しているものがとてもはっきりして納得がいくのである。そんな作品を見た時にあー写真をやめないで長く関わってきてよかったなと思うのである。

ぼくたちのギャラリーでは個展としてのショーを行うことをあまり考えていない。写真家一人の作品を見せるよりも二人ぐらいの作品を組み合わせていくことに興味がある。そうすることによってほかの角度から写真家の作品を理解できたり写真の役割や利点みたいなものを提示しようと思っている。つまりこのように新しい作 品を見つけた時に頭の中でどの写真家の作品と組み合わせるのかを考えるのである。この作業がとても楽しくて仕方がない。

すでにこのような感じで今まで何人か声をかけてきている。Project Bashoピンホールやガムプリントのワークショップを行っているScott McMahonに声をかけた。前々から彼の作品を見せたいと思っていた。一緒に彼の大学時代の先生であるSarah Van Kurenの作品を見せたらどうかと思っている。彼にしてみれば彼女はとても影響を受けた作家であるしSarahにしてみればScottは一番彼女が教えたものを吸収してくれた生徒の一人であろう。二人の作品を見せることによってその作家同士の影響みたいなものを見せることができたらと思う。

APUGのギャラリーで何人かの人に声をかけている。12x20を使って夜の写真を撮っているMatt Magruder 。彼は他にも廃墟の写真などを撮っているがこの夜のシリーズが一番面白いと思う。最近声をかけたGene Laughterという人でブロムオイルの作品を作っている。APUGで見る限りイメージとしてのまとまりがあまりないのだがこの辺はセレクションする時になんとかうまくまとめてみたい。

他にも僕の知り合った人で作品の発展を見てきた人もいる。メイン州に住んでいるGaryはAndreaのワークショップを一緒に取った時からの知り合いである。彼は自分のビジネスを売ってから写真活動だけをしながら毎日を過ごしてきている。といってもコマーシャルなものを撮っている訳でなく真剣に作品作りをしてきている。

前から興味があるのは自分の家族を取り続けた作品である。彼は離婚をしてから家族とは離れて住んでいてたまに二人の息子と時間を過ごす。その機会がある時にこの息子たちの写真を撮るのだがこの写真がとてもいい。今ではWet Plate Collodionでガラスネガを作りそこからシルバーのプリントを起こしている。最近見たものに一番最初にギャラリーで行ったFriends of Project Bashoショーで見たものがある。自分の息子を撮ったものなのだが彼の胸に残っている傷を上半身裸でポートレートを撮っている。目をつむっている息子の表情と胸にある傷そしてコロジオンによってできている表面の波みたいなテクスチャーがとてもうまくかみ合っている。

何せ写真をたくさん見ているのだがこのような作品に出会うことがあまりない。なのでギャラリーを活用してこのような作品を発表していきたい。

4/17/2008

AIPADとNYツアー

土曜日にNY出行われているAIPADに生徒を連れて行ってくる。今回はcollotypeのレクチャーをしに来てくれたJames HajicekとパートナーのCarolも一緒に同伴することになった。レクチャーの手伝いをしてくれたOlgaも一緒に来た。

AIPADはNYで毎年行われるイベントで世界中から写真のギャラリが集まり作品を見せ販売する場である。ここにくると毎年の写真の傾向やはやり、そして本でしか見れなかったようなものまで見ることができる。毎年生徒を連れて写真を見に来る。やはりプリントを見ることができるのは一番の勉強になる。

今回のショーはブースの幅が広くなっているようで大きな作品を見せれるように考慮しているらしい。さすがに前々からのはやりとしてあるが大きな作品は今でもよく売れているようだ。そして何よりも驚くのがブースの値段である。小さいブースで200万円弱そして大きなブースなどになると300万円以上になる。お金の動いている規模にはっきりいって毎回のことだが驚かせられる。

今回のショーで一番気に入ったのはFrederick Sommerのプリントである。いくつかのギャラリーが出しているものを見たが気に入っているのは紙を切り取って幾何学的な形を作っているものがある。彼のプリントはグレーの快調がとても豊富できれいだ。こんなものをプラチナで作ったらどうかなどと考える。さすがプリントがきれいなだけに値段もはる。$45,000という値段がついていた。

JamesとCarolが一緒に来たということでいろいろな人に紹介をしてもらう。会場に入ると早速JamesとCrarolは眼鏡をかけた白髪の男性の人と話をし始める。紹介をしてもらうとKeith Carterであった。地元のテキサスの紀行がいかに暑くて湿気が高く過ごしにくいものなのかGeorge Bushの政治と比べて冗談を言っていた。

夜はお決まりの居酒屋で夕食。FOTOSPHEREの柴田さんと栗田さんも参加をしてビールや日本酒を飲みながら焼き鳥を沢山食べた。

4/08/2008

テレビ局の取材

昨日はWHYYというテレビ局がProject Bashoの撮影にくる。WHYYはラジオも放送している公共のテレビ局である。

去年の暮れに新聞に紹介されたのがきっかけで一ヶ月ほど前にプロデューサーの人から電話がかかってくる。Project Bashoの活動を取材したというのである。このプロデューサーはフィラデルフィアで行われてアート関連活動を紹介する短い番組を作成している。電話でどんなものを撮影してみたいのかを聞いてみていろいろアイデアを練ってみる。

最初は今回行われているフィラデルフィア中の写真を撮るGrid Projectの撮影をしてみようなどと提案があったが最終的には暗室での作業やクラスの様子そして僕や生徒たちのインタビューを含めて番組を組むことになった。

毎週月曜日は初心者のクラスが行われていて紹介するにはちょうどいいクラスではないか。やはり初心者のクラスはみんな新鮮みがあり写真を撮るのがとても楽しいときである。僕の方も写真の奥深さみたいなことを紹介できて初心者に教えるのはとても楽しい。

一番最初は僕のインタビューから始まる。ギャラリーをバックに廊下でプロデューサーの質問にいろいろ答える。基本的にはどうやって始まったかどのような活動をしているのかなどということである。

たまに答えに困る質問もでてきた。一番困ったのは最後の質問で「あなたにとって写真とはなんですか?」というものがあった。深く考えずに簡単に答えればいいのだろうが正直言って「何なんだろう?」と一瞬考え込んでしまった。

さすがに新聞のインタビューとは違って少し緊張するものがあった。撮影は録画であるので間違ったことを言えば言い直せばいいと言われていたがどうも口が走ってしまう。最初は何でもないと思っていたのだが時間が経つにつれて緊張がでてきてしまった。次回このような機会があるときはもう少しうまくできるだろう。

暗室で生徒がプリントしている様子を撮影した後に今度はモニターとKevinそして生徒のインタビューをする。モニターのLaurenなどはとても緊張している様子だった。

いろいろな質問があったが中で面白かったのは写真活動が高いかどうかというものがあった。はっきりとしている質問ではなく人それぞれこの質問に答えているのが面白かった。Kevinなどは僕が活動するのに大変なのをわかっているから貸し暗室の値段を押さえていると答えたりもう一人の生徒はクラスをとる前にカメラを買おうかクラスをとろうか悩んだ結果クラスをとり写真の理解がでてきたと答えていた。人の価値観という物がわかるような質問だった。

3時間ぐらいの撮影であったが実際の番組の時間は3分ととても短い。ある意味で写真の行程と似ているものがあり実際に見えないところでの作業というのはたくさんある。どんなものができるか楽しみである。テレビでも放送されそしてウエッブにも紹介されるのでいろんな人が見ることができると思う。

3/29/2008

日本への写真旅行

レクチャーの段取りを進めていると同時に今Project Bashoの企画旅行の準備をしている。

この夏から写真家を対象にして企画旅行を行おうというものだ。目的地はいろいろ企画していて僕が担当する日本ではまずは金沢と能登半島にすることにした。東京や京都などにすれば受け入れやすいのだろうがもう少しこちらの人が一人では行けない所に連れて行きたいという考えがあった。

12月に日本に帰った時に金沢と能登の方に下見旅行をするという目的があった。実際には4日間というとても短い時間であったが地元の人の手伝いもあり見るところはちゃんと見て来れた旅行だった。

今回の下見旅行の道のりとしては東京から飛行機で能登空港まで入りそこから珠洲市に向かった。市の観光課に勤める高林さんが親切に車で珠洲市を案内してくれる。さすがに長い間住んでいるだけあって町のことをよく知っていて珠洲市を回ってくれた。

子供の時にお母さんの知り合いを通して一度珠洲に遊びに来たことがある。全体の記憶はないのだが細かい記憶は残っている。その時の記憶から小さな漁港という感じが残っていた。今回の目的としては珠洲で行われる祭りを撮影をしてはどうかと思い寄ることに決めた。キリコという提灯が沢山ついているものが町を出回るのだが大きいものでは建物3階立て位の高さがある。このような説明を聞きながら市内観光をしてから海岸線をドライブして一路輪島に向かう。

輪島では知り合いを通して知ったホテルに泊まりそこの営業の人が一日中車で輪島を紹介してくれた。輪島の朝市から始まり漆塗りの工房などを見て回る。市を少し離れて有名な棚田の風景から海岸沿いにある小さな漁村を回る。このような静かな所に人が住んでいるのか感心した。輪島から少南におりた所に總持寺という曹洞宗の禅寺に寄ってもらう。ここなどに来て座禅を経験するのは面白いのではないかと考える。

その日の夕方にバスで一路金沢に向かう。日本に帰る前にOmarから石川県国際交流サロンに勤めている永江さんという方を紹介してもらった。アメリカから連絡して今回の旅行のことを話してみると永江さんがとても興味を持ってくれた。永江さんがこちらからのやりとりの手助けをしてくれることになってとても助かった。でなければこの旅行は実現しないだろう。

旅行を発表してから一週間ぐらい立ち何件か問い合わせある。既に4−5人の人が興味を持ってくれている。最小人数が6人なのでかなりいい感じなのではないだろうか。この夏にアメリカの人たちに日本の田舎を紹介できるのが楽しみである。

3/10/2008

この先月は毎日のように今回のコロタイプのショーのサイトを作っていた。

今回のショーは京都にある便利堂が作成したCollotypeというプリ ントを見せるもので、NYのFOTOSPHEREとの協力で行うことになった。このショー自体はFOTOSPHEREで2年ぐらい前に一度行われていて今 回フィラルフィアに持ってきたら面白いのではないかということで話がまとまった。

FOTOSPHEREはChelseaにある日本人が経 営しているギャラリーである。栗田さんが始めたもので話を聞いているとかなり前からアメリカで写真をFine Artとしてやってきているらしい。元々はLaurence Millerで作品を発表してかわきりにこちらで活動を初めて自分のクラスを行うスタジオとギャラリをはじめたようだ。Laurence Millerが始まった時から知っているというのでアメリカのFine Art Photographyマーケットを最初から見て来た人といっても言い過ぎではない。

今回のcollotypeはとても製造過程が入り込んでいる為にどれくらいの過程があるのかということをわかってもらう為にサイトを用意する。とにかくCollotypeと言われても理解がないのでサイトを使いこのプロセスについて知ってもらうことから始める。

今回のショーに伴い誰かレクチャーをできる人がいるともっとおもしろくなるのでないかということでこのプロセスに関して造形の深い人を探し始める。Alt-listを使って質問をしてみると早速何通かメールが帰ってくる。最初の人は海外の人で予算に合わなかったがArizona State UniversityでCollotypeを教えているJames Hajicekさんという方の紹介を受ける。便利堂からのスポンサーも決まってこのレクチャーが行われることになった。

後はスタジオにスピーカーやLCDプロジェクターを取り付けなければならない。残りの2週間が忙しくなりそうだ。

2/27/2008

昨日は朝から忙しく充実している日だった。

朝はDrexel大学のPaul Runyonとスタジオで会う。彼はAndreaが教えている写真学科の学長であり今回初めて顔を合わせる。2-3日前Andreaにギャラリーを大学に貸すという仕組みについて質問をしたら彼女は早速Paulに連絡してくれた。その話を聞いたところPaulが今年の卒業制作発表の場として借りたいと言い始めたのである。

今年の卒業生は13人ぐらいでオープニングにはなんと500-800人ぐらいの人が訪れるらしい。ちょうどONWARDの写真を取り外していたところで壁の長さとしてはちょうどよいぐらいとPaulは言っていた。

マーケティングなどもすべて学校が行い生徒が実際に写真を展示をする。ギャラリーを運営しているものとしては何もしなくてもよいショーなのである。その上ギャラリーレンタル料が予算からおりる。こんないい話があるのかと正直言って信じられなかったがこんな話をPaulと短い時間した。

昼過ぎに先月からスタジオで手伝いをしているKevinが来てくれる。彼はまだ若くアナログのプロセスにとても興味を持っている将来が楽しみな写真家である。KeinがWet Collodionに興味があるという話をしていたら僕は"If you are interested in this kind of stuffs, you came to the right place"と冗談を言ったことがあるほどこのスタジオとはいい組み合わせである。

彼とCalumetに行きスタジオ用にシームレスを買いにいく。Cartier-Bressonのquoteを使ったDMもでき、貸しスタジオ準備は着々と進んでいる。今回はスタジオの様子の写真を撮る為の準備をする。シームレスを壁に取り付け最近揃えたスタンドなどを何となくおいてみる。一見簡単そうな撮影だが実際に初めて見るといろいろ注文が増えてそうは簡単にいかない。

次は4x5と8x10の大判カメラレンタル用のマーケティングの写真を撮る。少し雨が降ってきたが構わずに全ての機材をベランダに出して撮影をする。「4x5を使っている」という感じのイメージを作りたかったのでKevinにモデルになってもらってもらう。

夜はPhiladelphi Grid Projectの集まりがスタジオである。今回は1月からの写真を見せる為にみんなが集まる。今回はなんと9人も人が集まった。ほとんどの人は今回のミーティングが初めてだったので写真を持ってきたい人はプロジェクトを始めたBobと前回のミーティングから加わったAlbertAndrea。僕は正直言って忙しすぎて一月の撮影にはまだ行っていない。

今月からこのプロジェクトを使ってワークショップを行っている。今月の頭に参加者と2月の撮影に行ってきた。白黒の8x10で14カットぐらいだろうか。早速現像もしてある程度いい写真が出来上がってきた。どうやら今までの人たちはカラーで撮影しているので僕は白黒で撮影し続けようと思っている。来月のミーティングが楽しみである。

2/18/2008

去年の秋にProject Bashoの記事を書いてもらったPhiladelphia Inquireに最近フィラデルフィアにNYからアーティストが移ってきているという記事が 載っていた。

記事の内容はフィラデルフィアにはNYのほど生活費がかからず、不動産の条件がいいのでアーティストが大きな倉庫などを比較的に安く借りるこ とができ、そのような場所を自分たちの生活の場、スタジオそしてギャラリーとして活用している。位置的には僕のスタジオよりもっと北に行った工業地区にこ のような共同の場を設けているらしい。

記事によると生活費のと家賃の安さを利用し自分たちの作りたい作品を作り見せたい作品を見せるということができるのである。つまり「売れる」ということや「売る」ということに頼らずに作品作りと発表ができるわけである。記事にはフィラデルフィアのアートシーンはアーティストによるアーティストの為のものであると書かれている。

もちろんいいところだけではなく問題点も指摘している。まずはそのような倉庫があるところの治安あげられている。さすがに町外れにあるだけあって周りにすんでいる人たちの生活環境は恵まれていない。そのようなことろにアーティストは自分たちの居場所を探すのである。

もう一つの問題としてアートマーケットの小ささがある。絵画や彫刻などは少し違うのだろうがフィラデルフィアでは現代美術はほとんどいって売れない。写真も似た位置にいるのだろうがとにかくフィラデルフィアのマーケットは保守的である。

とにかく僕にとって興味があるのはフィラデルフィアのアートマーケットの小ささとアーティストが集まってきているという一見バランスのとれていなトレンドである。これはある意味Project Bashoの局面と似ていている。後は誰かがこのギャップを埋めるアイデアをいつ思いつくかだけなような気がしてならない。

時間はかかるかもしれないがこれからどのように展開していくかが楽しみである。

1/25/2008

今日は久しぶりにNYへ向かう。Andreaのオープニングに顔を出す為に行くのだが他にも用事でを済ますことになった。

スタジオでカーボンプリントを教えているKevinが昼ぐらいに迎えにきてくれる。彼もAndreaのオープニングに行く為一緒に行くことにした。いつもならバスで2時間の旅だが途中まで車でそして残りを電車でNYに向かう。

電車の中で夏に行おうとしているワークショップの打ち合わせをする。Four CornersといってArizona, New Mexico, Utha, Nevadaが交わるとこにあるキャニオンをキャンプをしながら撮影しようというものと南フランスに訪れるものを企画している。どちらも1週間ぐらいのワークショップで面白いワークショップになると思う。

NYに着いたらまずは8x10カラーフィルムの現像をしにラボによる。大判を使う写真家が少ないのだろう、フィラデルフィアでは8x10の現像はしてくれるラボはない。一年ぐらい前からこのラボで8x10や4x5も現像するようになった。NYはさすがに競争が激しいため値段が安い。

次に向かうのはFotospherというギャラリー。いまではギャラリーのメッカであるチェルシーにあり日本人が経営しているギャラリーである。2年ぐらい前に行ったショーをフィラデルフィアで行うために打ち合わせをする。どのような形に成るかは正直言ってわからないがかなり面白いものをフィラデルフィアに持ってくることができるのではないかと思う。

次は今回のメキシコで友達になった人が偶然にもオープニングをしているというのでVan Lintelというギャラリーに顔を出してみる。彼はJohn Chiaraというサンフランシスコで活動をしている写真家である。昔から自分でカメラを作るというところから始めていて今ではトレーラー自体をCamera ObscuraにしてChibachromeの紙に直接撮影している。彼のサイトにある撮影風景のビデオを見てくれればわかるが作業が何から何まで大がかりである。

今回はNYで初めての個展ということでとても緊張している様子だったがギャラリーの様子はとてもよかった。始めの30分ぐらいしかいることができずどれくらいの反響があったのかはわからないが後で食事で会った人達もJohnの個展のことを知っているようだった。来年あたりでもぜひフィラデルフィアで見せたい写真家である。

それからAndreaのギャラリーに向かう。彼女のギャラリーはMid-TwonにあるEdwin Houkという5番街あるNY中でも有名なギャラリーである。4階に着くと既に人が集まっている。廊下を抜けてギャラリーに入るといつもは広々としたギャラリーが人の多さに狭く感じられた。さすがにAndreaのオープニングである。Andreaの彼のSteveと京都の便利堂についての話をする。かれは彼は小さな出版社を経営していて80年代に便利堂を訪ねたことがあるらしく今度のショーにとても興味を持ってくれた。

その後はOmarと食事をする為に近くで落ち合う。彼は友達とMOMAでミーティングに出席していたらしい。Omarの友達は写真のコレクターらしく食事の間にどうやって写真に興味を持ってもらいコレクターを育てることができるかということを話す。コレクターのとして意見がかなり出てきていい会話になった。

短い時間だったがかなり内容の充実したNYの滞在だった。

1/22/2008

昼食を久しぶりにPho Haで食べる。昨日は結局Chicagoで2時間以上も待たされることになり家に着いたときには朝の3時であった。

先週の木曜日からMexicoのYelapaという小さなビーチを訪れていた。今回Mexicoに来たのは初めてでこんなビーチリゾートにきたのも初めてである。このようなところに結婚式の写真を撮りにきたのである。

位置的には西海岸のPorte Vallartaというとても観光化された港町からボートで45分ぐらい離れたところにある。海に囲まれた島ではないが陸路が険しいためYelapaにつながる道はほとんどない。電気なども5年ぐらい前にやっと通ったようだ。多い時期でも2000人ぐらいしかいない小さな所で車などは一台も見当たらない。このYelapaは知る人ぞ知るビーチリゾートである。

ビーチリゾートというととても開発された印象があるが全く開発の後がみられない。ホテルも椰子の葉でできた屋根があるバンガローといった感じでガラス窓などある訳ではない。すべてがとても簡素にできている。すべての人向けではないがこのような人の少ない小さなビーチに来たいと思っている人にはもってこいの場所である。

海岸沿いにある町自体もこじんまりとしていて小さなお店やカフェが何件かあるのみで後は実際にすんでいる人の家が数十件ほどある。川沿いに少し歩いていくと小さな学校の周りに家が5-6軒の集落がある。学校は休みだったらしく校舎のペンキを塗っている人たちにあった。こんな所で生まれてこの小さな学校に通う人生とはどんなものかと考えを巡らす。

滞在中にYelapaに住んでいるアメリカ人達に何人か会った。4年ぐらい住んでいる人から多い人で30年も住んでいる人もいた。こちらで実際に生活している人の話を聞いているとこんな人生もあるのかと思わされた。

持っていった機材は8x10、Speed Graphic、Leica M6とKonicaのHexarと今時よくこんな機材で結婚式の写真撮れるなという感じのものである。基本的には35mmで結婚式の過程を記録して8x10と4x5で決まった所をバチッと撮った。バチッといってもなるたけ気軽なスナップのように撮らないと固くなりすぎてしまうのでその辺を気を付けながら12カットぐらい撮る。この頃8x10はポートレート専用のカメラになってきている。

さて後は日本滞在からたまってきているフィルム現像である。

1/13/2008

土曜日に行われたProject Basho初めての公募展オープニングにはなんと200人近くの人が訪れた。

午後の2-5時の間に行われたオープニングにひっきりなしに人々がスタジオに訪れてきた。さすがに100人くらいはくるだろうと予想はしていたがそれをうわまる数の人が集まった。さすがにこれぐらいの人がいっぺんにスタジオに集まると混みすぎて一時は長い廊下を行き来するのが大変な位だった。好天気にも恵まれて期待以上のものすごいイベントになってくれた。

いろいろな人と話す機会があったが中でもショーに参加者している人たちとの会話が印象に残っている。Adam Daviesは今回賞を取った一人でもあるが里帰りもかねてわざわざPittsburghから来てくれた。僕と同じくらいの年齢で8x10を使いPittsburghの町の様子を撮っている。彼とは今後行われる3人展の話や今行っている絵画と写真を混ぜた作品の発表の仕方などについて話す。どうやら将来的にProject Bashoみたいなスタジオを始めたいらしく今度時間があるときにスタジオに相談しにくるといっていた。

上の写真に写っているのはRichard Kentさんで大学でアジア美術史を教えている教授である。さすがに日本の美術史にも造詣が深く話の途中で僕が行っている36 Views of Philadelphiaプロジェクトの話題になる。これは僕が勝手に北斎の富岳36景もじって付けたタイトルである。英語では"36 Views of Mt. Fuji"というタイトルでこちらの人に知られている。彼とはいかに見慣れたLandmarkを新しく見せていくかという話題で話が進んだ。

話を聞いた限りでも南はNorth Carolinaから北はNew York州のSyracuseとかなり遠くから足を運んでくれた人もいた。このような人たちがいてくれたことはかなりイベントが大きかったことを物語っている。

Andreaも沢山の参加者と話をしていた。さすがにこのような場に選考員の人が現れるということがあまりないため参加した人にはとてもいい機会であっただろう。普通このような場で大体は選考した人は現れないのがこちらでは普通になっている。彼女も集まった人数には驚いていて「これは大成功ね」と言った。

そして何ともうれしかったのは写真が何枚か売れたことでもある。オープニングが始まる前にスタジオによく手伝いをしにくるAlが雑誌で見た写真を購入した。そしてオープニングではもう3作品ほど売れた。プログラムを作っているときに思ったことだがかなりの作品にお手頃な値段が付いていてこれから写真を集めようとしている人などにも十分通用するものがある。これからこの辺をうまくついてショーのマーケティングをしたいと思う。

ところで木曜日の夜に近所のギャラリーと合わせて行ったオープニングに来た人の中にLibbyさんという方がいた。この人はパートナーと一緒にArt Blogというものを立ち上げていてフィラデルフィアのビジュアル系のアートショーのレビューを書いている人である。このブログはともて硬派でフィラデルフィアのアート通の間ではかなり読まれている。ブログのことは知っていたが今回初めて挨拶を交わした。今回のショーをとても気に入ってくれたらしくレビューを書いてくれるようだ。どんなことが書かれるのかがとても楽しみである。

1/11/2008

毎回少しずつ要領を得ているようだがギャラリーでのinstallationは時間がかかるものである。

今回のショーの準備のために一昨日ぐらいから準備を始めた。本当はもっと早く始めようとしたのだが何せ時差ぼけで日本から帰ってきた4日間ぐらいを有効に使うことができなかった。

前回のショーの前に使ったペンキの色が少し違ったために新しい色を塗る所から作業が始まる。いつもだったら穴があいたところや汚れたところだけにペンキを塗ればいいのだがそうはいかずギャラリー中を塗り返すことになる。

それが終わり次第写真を飾れる壁沿いに紙を敷き額を並び始める。一度すべての写真が見えるようにまとめておいてそこから写真の配置を決めていく。今回のように沢山参加者のいるショーではこの作業が大変である。

僕の方法としてはまず額の大きさで写真を分けていく。16x20より小さい額とそれ以上大きな額で配置の場所を変える。最近は大型インクジェットプリンターなどでプリントをかなり大きくする写真家が増えてきてる。NYのギャラリーなどにいくとわかるがはっきり言って「はやり」みたいなものまでにもなっている。

現在の時点でギャラリーはスタジオの手前の部屋、廊下、そして奥に今回つくったスペースと3部分に分かれている。その場所の大きさによって写真との距離が決まってきてしまう。比較的大きな作品は奥のスペースそして小さい作品は比較的狭い廊下に配置しようとしている。

それができたら今度は作品の内容や色合いなどを見ながら実際にどの壁に配置をするか考えていく。特に決まったものはなく主観的だが被写体や写真の「雰囲気」や「感じ」みたいなものでまとめていくと写真が見やすくなると思う。今回もポートレートとして、現実的な写真、あまたは緑のある写真でまとめたりと各壁ごとにテーマを作っていく。

その後に各写真のラベルや写真家の名前が載っているプログラムをコンピュータで作っていく。さすがにこのような作業は何度も確認が多くとても時間がかかる。校正をフルタイムで行っている人は本当に大変だと思う。

すべての行程で丸2日ぐらいかかった。もちろん何人ものモニターや友達が手伝ってくれているから作業を終わらせることができた。

後は土曜日のオープニングを待つのみ。天気もよくなりそうでAndreaも含め参加している写真家などかなりの人が集まる予定だ。

1/09/2008

日本から帰ってきてからこの3-4日間ほど時差ぼけに悩まされている。

夜まとまった時間眠れず昼間になってどうしても眠られずにいられない。木曜日から始まるショーを前にやることは山ほどあるのだが仕事が全くはかどらない。11年前にアメリカに来た時にこんなにひどかったのかと思うほどである。

久しぶりに帰った東京での滞在はとても充実していた。昔の友達や新しい友達などに会うことができ話がはずんだ。もう100歳に近いおばあちゃんや3人目の子供が生まれた弟などにも短かったが11年ぶりに会うことができた。こんな身近にいた人達に会うことだけでも新鮮に感じられた。

写真関係のほうもいろんな形で活動に携わる人に会うことができた。作品を作り発表している人、その周りで活動している人など。少しではあるが日本での写真の環境を垣間みることができた様に思う。今年から本格的行おうとしている日本との行き来の基盤が感触として感じられた。

そしてなんと言っても食べ物がおいしい。何を食べてもおいしいという感じでこちらではいつも食べない朝ご飯でさえ2-3杯食べるのである。こちらではさすがにあまり焼き魚などを食べる機会がないので朝食はご飯とお魚で毎朝過ごした。

後は日本で撮った写真の現像が山ほど残っている。7x178x10、からブローニーと35mmまでかなり広くフォーマットを使って来た。これからネガ作りをして行くのが楽しみである。