6/28/2008

スタジオの運営

スタジオのすぐ近くにあるQuinceという小さなお店を開いているNicoleと立ち話をした。

お母さんの援助で始めたQuinceはお昼のサンドイッチやコーヒなど簡単に軽食できる物から、スペインのサラミやチーズなどを売っているお店である。僕もワークショップなどを行う時に簡単な軽食やコーヒを持って来てもらっている。お店を開いてから1年ちょっと経ったであろうか、今では近所に住んでいる人が立ち話をしていく店になっている。

Nicoleはこのお店をほぼ一人で週6日開いている。朝のパンなどの受け取りから始まり、一日中お客さんを相手にしている。そして夜は夜で帳簿をつけたり新しいビジネスのアイデアを練っている。これを一年間以上毎日の様に続けて来た。

金曜日の夜に近くのバーにキューバの音楽を演奏するバンドを見に行こうと誘った。彼女はお父さんがスペインの人で彼女もスペインに住んでいたこともあり興味があると言っていたが、今日は疲れていて余裕が無いとのことである。そして今近くに小さなカフェを開く計画をしているということを話くれた。なんでも一人でやっていることに関心する。

話を聞いている途中思ったのだが彼女のビジネスと僕のビジネスの違いを考えさせられた。両方ともビジネスとして経営しているのだが、最終的な形としてどうしても違う。彼女のビジネスはやはりビジネスであり、僕の場合は少し違う。

最近Project BashoのAboutページを作った。Project Bashoの趣旨と手伝ってくれている人の名前を連ねた。数えてみるとボランティア人数が今ではなんと18人もいる。最近いきなりここまで増えたのだが、今では毎日朝から夜までアシスタントとして誰かがスタジオで手伝っている。

ボランティアの人が手伝ってくれる作業は幅広い。まずは毎晩暗室の面倒を見るモニターがいる。薬品を混ぜたり暗室の整理整頓をしたり、そして生徒や暗室を使う人の相手をしてくれる。Jessicaなどをはじめ一年以上続けている子が数人いて、一年続けてくれると気に入りそうな写真集をプレゼントしている。このようにモニターが毎日いるからこそクラスがない時にスタジオからはなれることができる。

最近の加わったボランティアはオフィスの作業を手伝ってもらっている。主にリサーチを中心にどうしても時間がかかることを一人一人プロジェクトとして与えている。作業としてはマーケティングの下調べをする人や、アメリカ中の写真学部のある学校のリストを作る人などがいる。少しテクニカルなことになると、重要なキーワードが検索に引っかかるようにリサーチをしている人や、印刷物やサイトの下デザインを行う人など本当に幅広い。今回の金沢へのツアーについて細かい情報集種を行っている日本人の子までいる。

中でもOlgaなどはEvent Coordinatorというタイトルでスタジオで行われるイベントの下準備を手伝っている。今は9月に行われる栗田さんのショーで行う特別イベントの準備と、10月に近くのNexusというCo-opギャラリーで行われるショーと関連して行うスタジオでのパネルディスカッションのイベントをメインに準備している。最近加わったAnneと一緒にスポンサー探しからマーケティングまで全般に扱う。

Nicoleと話していた時に思ったことはどうして僕のビジネスには18人も手伝ってくれる人がいて彼女のお店にはボランティアがいないのだろうかということである。この違いというのがお互いのビジネスとしての根本的な違いの現れではないか思う。

6/13/2008

理想とビジネスの両立

昨日は13時間会計士とミーティングを行う。朝の9時半にオフィスに行って彼女と一緒にオフィスを出た時は10時半だった。こんなに長居するつもりは無かったがこういう成り行きになってしまった。そしてこの間休みはほとんどと言っていいほど無く、彼女とひっきりなしに話をした。

去年の税金の計算をしながら収入と支出を見てビジネスのどの部分が実際にお金を生んでいて、どこでお金を失っているかということを徹底的に計算して調べる。コストをビジネスの部分に相当に割当て各部分が月にどれくらいの収入を得なければいけないのかということも割り出す。ビジネスとしてはとても大切なことである。

僕はそもそもこのProject Bashoを始める時に元々ビジネスとして始めた物でなく、どうやったら「文化」というものを生み出すことができるのだろうかという素朴な疑問を持っていた。ビジネスのように商業の中心ではなく、人が集まりその間に起こる「こと」に興味がありこのプロジェクトを始めた。正直言ってビジネスのほうは何とかなるだろうという感覚しか持っていなかった。

最初は暗室を作る為にスタジオ探しを行う。いろいろな物件を探したあげくもともと写真家がスタジオとしていたアパートを探し、そこに一番最初の暗室を作る。半分は自分が住む場所でその半分に暗室と作業場があった。クラスなどはキッチンで行い、僕のアパートはいつも人が出入りしていた。今思えばとても簡単な暗室だったが3年間も草の根的な活動のベースになった。

これだけではやりたらずに活動の幅を広げる為にビルの購入までする。元々こちらで不動産に投資したいと思っていたお母さんの援助を受け倉庫を購入する。さすがにこんなに時間とお金がかかることとは思わなかったが、その辺は無知であるということが逆にいいように働いてくれたと思う。

そしてビルの改装工事。元々大工作業に興味はあったが実際の経験などは無く、ましてビルの改装工事を最初からやるなんているプロジェクトは問題外だった。6年間放置されだいぶ痛んでいたビルの解体作業を最初の3ヶ月間行い、終わった時は屋根も無く壁が4塀あるだけの建物になっていた。こんな建物が形のあるもになるのかと疑ったことは何度もあった。昼間はこのビルで工事の仕事をして、夜はクラスを教えるというスケジュールが3年半ぐらい毎日のように続く。

運良く西海岸で大工をしていたMargeがクラスをとり彼女と一緒に作業をするようになった。アメリカの大工はちゃんとしたトレーニングを受けて行っている人が少なく、しっかりと技術を学んでいる人が少ない。そのなかでどちらかといったら徹底主義を持っているマージに会えたのはラッキーであっただろう。つくづく思うことだが彼女に会わなかったらこのビルの改装工事は終わらなかっただろう。金銭的にも精神的にもやっとのことで改築作業を部分的に終わらすことができスタジオを開くことができた。これが2年前になる。

このスタジオに移ってからはマーケティングをひたすらやって来た。どうやったらProject Bashoのことを知ってもらえるかということを考えいろいろながらサイトのデザインやメールでのニューズレターなどを行ってくる。Andreaなどを通して地域の大学とも関係を築いてきた。そして去年の秋にできたスタジオを中心にショーやイベントを計画してくる。これによって少しづつではあるがやっと人が集まるようになってきた。

よくここまで来たなと思う一方これからどうやってこのスペースをいかに保っていくかということを考えなければならない。何せ時間がかかることを行っているので、長い間活動することに意義があるように思う。この為にもビジネスとしてスタジオを運営していかないと先が続かない。この為のミーティングと思えば13時間は短い物である。

6/10/2008

コーネルキャパ

週末7x17に引き続き日本で撮った8x10を現像している途中にコーネルキャパが亡くなった知らせを聞いた。

承知のようにコーネルは戦争の写真を撮り続けたロバートキャパの弟で写真家である。正直言って僕はアメリカに来る前は写真家としては知らなかった。どちらかと言ったらロバートの陰に隠れがちなのだろうか。彼はこの前のオープニングで顔をだしたICPを創立した人としても知られている。

一度彼のアパートを訪ねたことがある。NYのプリンター、Teresa Engelのアシスタントをしていた時だ。彼女はRobertのネガをほぼ独占的にプリントしていてCornellのネガもプリントしていた。コーネルはキャパの本を出版する時に彼女をプリンターとして抜擢して、その時から一緒に仕事をするようになったそうだ。

彼を訪ねたのは出来上がったプリントにサインをもらう為である。場所はNYのphoto districtから少し離れている所にある高層アパートだ。南向きのアパートに入ると小さな部屋にコーネルと介護の人達がちょうど昼食をしている所だった。とても老いたコーネルが車いすに座っていたのだが僕が知っている写真とは全く違っていてた。

テレサはプリントにサインをしてもらう為に一緒に窓側に座る。彼は声を出そうとしているのだが正直言って何を言わんとするのか僕にはわからなかった。テレサは老人を介護しなれたようにコーネルと会話をしようとしている。

鉛筆を彼の手に渡すがしっかりと握ることすらができない。それなのにもゆっくりとプリントにサインをしていくコーネル。一枚一枚サインをするたびに彼の文字が崩れていく。テレサはそんなことも気にしないように彼を励ましていた。この日は体調があまり優れず4-5枚しかサインをすることができなかった。

テレサが隣の部屋に用を足しにいった間コーネルの様子を見ていてほしいと頼まれ、僕は彼の前の椅子に座った。半分意識が遠のいていくようなコーネルを僕はじっと見ていた。その間お互いに何も口にしなかった。

彼の座っている車いすに横に"Slightly Out of Focus"の本が重ねってあった。単行本で高校の時代に読んで影響を受けた「ちょっとピンボケ」である。その時に初めて英語のタイトルであることを知った。アメリカに来てからこの本のことなどすっかり忘れていたし、どうして写真を始めたなんて考えることさえ無かったように思う。今では実際に読んだ本がどこにあるのかも覚えていない。

しかしこの本がきっかけで高校の時に写真をやり始めたような物である。それから何年も経ったがこのようにNYのアパートの一室でその本を横にロバートの弟、老いたコーネルの様子を実際に目の前で見ている。なんとも言えない不思議な感覚だった。

この間10分も無かったような気がするがアパートの窓から入る南の光はとても暖かく感じた。

6/08/2008

最近の写真

最近どんな写真を撮っているのかと聞かれた。忙しくて特に撮っていると言うほど撮っていないのだが全く撮影をしていない訳でもない。

Philadelphia Grid Projectの撮影は相変わらず続けている。先月は町の北はずれに行って撮影をしてきた。町外れにある倉庫などが集まっている地区での撮影だった。この辺りは車の通りは多いのだが人の通りは全くと言っていいほど無い。撮影している間に一人の参加者が空きビルを見つけてたので中に入って2時間ぐらい撮り続けた。7x17で8枚ほど撮影する。

いつもなら4人で撮影に行くのだが、今回は地元のテレビ局が同行するということでいつもよりも多い人数で撮影することになる。毎回思うことだが写真を撮る人が8人も集まるとかなり行動に機敏さがかける。と言うことで撮影した所は一カ所のみ。今月からはもう少し少人数で動きたい。

そして最近ポートレートを撮り始めた。ポートレートは機会があればいつも撮っているものなのだがもう少しまじめなポートフォリオを作ってみようと思っている。ボランティアの人や友達の友達を紹介してもらって撮っている。自然光を使い白黒でシンプルにストレートに撮ってみようと思っている。

まずはBrandiとOlgaのことを撮った。Brandiはオフィスでブックキーピングを手伝ってくれていてOlgaはイベントコーディネーターとしてボランティアで働いている。

Brandiは夕方に強い西日が入るベットルームで撮影する。夏になるに従って日が沈むのが遅くなっていて夜の7時ぐらいでもまだ自然光だけで撮影できる。彼女は撮影されるのになれていなかったのか少し緊張している様子だった。4x5で16枚ほど撮影をする。

Olgaは天窓がある別の部屋での撮影。この部屋は東向きの天窓があり昼間まで直射日光がビームのように入ってくる。Olgaの顔に落ちてくるその光を追っかけるように彼女を撮影した。Olgaは緊張した様子も無く30分ぐらいの撮影で4x5で16枚撮影する。

その上にコロジオンでの撮影を加えたいと前々から思っている。こちらの方はストレートなポートレートでなく少し手を加えた物を作っていこうと思っている。今はモデル探しの真っ最中である。

いつもなら8x10で撮る所だがこのごろ4x5をよく使うようになっている。テキパキと枚数が撮れるのがよい。ただいちいち気に入った写真を撮るたびに8x10で撮っておけばよかったなどと思うのが困る所である…。