12/24/2008

中心と地方の微妙な関係

九州は3ヶ月前にも訪れた。

前回は長崎,島原そして五島を訪れたが、今回は福岡と長崎のホテルの下見をする為に来た。めぼしいホテルを片っ端から訪れ、部屋の面積など細かい情報を教えてもらい、実際に部屋まで案内をしてもらう。このようにして20位のホテルを巡った。その為長崎などは実際に滞在していたのが24時間もなかった。

この様に日本をいろいろ動けるのはJR Passのおかげである。このパスは海外からの旅行者や永住者が週単位で購入することができる。「のぞみ」に乗れなかったり、実際にみどりの窓口に行かなければチケットを購入することができないなど制限はあるが,2週間、4万5千円でJRの電車が乗り放題になり、このような旅行にはなくてはならない物である。

新大阪から3時間位かけ小倉に向かい、駅前で大淵さんと待ち合わせをした。彼女は去年の今頃に東京で久保さんと一緒に会ったのが初めである。それから彼女も参加するショーやプラチナプリントの事などを通して連絡が頻繁になった。彼女は一昨年のFundraiserでは僕のプリントを購入してもらい,今年はプリントを数枚寄付してくれた。実際の距離は遠いながらもProject Bashoを支えているサポーターの一人である。

彼女の所に訪れた時は必ず情報の交換をする。プラチナプリントやカメラのことから写真を見ながら作家の事など写真について話す。前回などは情報を探して試してみたAnthrocotypeのプリントを見せてもらったり,実際のやり方に付いての情報をもらった。今回はベス単で作品を作っている人の写真集と大淵さんの写真を見せてもらった。色分解されたようで、比較的淡くしかし芯がある色がでていて、Autochromeの色をを思わせた。昔カメラ雑誌の広告でよく見たキヨハラソフトフォーカスの話をする。今ではあまり見なくなったようだが中判までのレンズがでていて、こんな物をレンズに取り付け4x5位に使えないのかとアイデアを交わす。

このように彼女と話をしていて感心するのはこのように地方にいても切磋琢磨に情報を収集していて作品作りの役立てているところである。彼女の事を見ているとどこにいても自分のアンテナを敏感にしていれば情報は入ってきて、ちゃんと作品を作れるのだと。日本の様に東京に一極集中していると一見そうに行かない様な気もするが、彼女を見ている限りそんな事はない。

つまり情報や「刺激」があるとされている東京にいるという事がいい作品を作るという事と比例しないというのだろう。もちろん情報や「刺激」だけで作品を作っていないので当たり前と言えば当たり前である。逆に情報が「はやり」として氾濫している東京では、自分の興味のある事にじっくり取り組む事ができないのかもしれない。「中心」にいるという事の「よい」とされている事が逆手になるというか。

これはアメリカにも似ている事が言える思う。日本人間の話を聞いているとNYを行けば/見れば写真の事がネットーワク的なとも含め全て「網羅できる」みたいな感がある。実際な話NYなどは競争が激しく全てが縦割りになっていて、いろんな人を知って行くには時間がかかり苦労する。

逆にフィラデルフィア見たいな地方都市に行くと写真界が狭いため皆「コミュニティー」としての意識があり横の関係を作って行くのが比較的簡単である。会う人に会っていればすんなり入って行くことができる。逆にこのような所で面白い事やちょっと居敷が違う事をすると人が寄ってきてくれて全面的に協力してくれる。そういう意味でも写真家,ギャラリーそしてキュレーターなどの人と「同等」に人として知り合いそして付き合うことができる。

そしてアメリカでは一極集中という物がなく各都市に中心がありアート界が存在する。つまりNYではやっている物が他の所で情報として伝わっているかというと必ずしもそうでない。アメリカで全国共通の「はやり」や「話題になっている物」というのはなくもないが、大体は日本のメディアが誇張に表現しているに過ぎない。

そんな状況などは外からでは見えないし,そんな事を追っている人には見えない物である。そういう事も含めて「中心」から距離を保つのはいいことであると思った。

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