12/20/2008

社会科見学

日本に着いてから早速ミカさんと一緒に出版社や出版に関係している人に立て続けに会う。

いろいろな立場の人から話を聞き日本での写真集出版の事情をリサーチするのが目的である。具体的な数字、ビジネスの内容や何を考えているのか、そして僕たちがどのようなことができるのか、などということをざっくばらんに話す。感触としてはどこも肯定的で協力してくれるようであった。

そんな事を二人で4日ほど行った後、月曜日には久保さんも引き連れて京都の便利堂に向かう。便利堂の鈴木さんには前々から久保さんとミカさんとで訪れる予定を伝えておいた。そこにミカさんの紹介で奈良でギャラリーを営んでいる野村さんと京都の大学で勉強している山下さんとが合流する。

お昼を食べて便利堂に訪れた時には2時で、それから山本さん達が行う工房の説明などを兼ね3時間位お邪魔をする。来る度に便利堂の技術そしてそれに対しての誇りなどに感心させられる。いろんな過程がありそれぞれの部門で働いている人と話すと、自分のやっている事に誇りを持っていることがすぐわかる。

その後、時差ぼけの睡魔に襲われながらも鈴木さんと山本さん達と一緒にお酒を飲み、技術的なことや、どのようにしてCollotypeの存在をもっと知ってもらうかという事を延々と話す。席での山本さんがCollotypeについて語っている顔が忘れられない。これだけ自分のやっている仕事を熱心に語れるという事ができる人が今の社会にどれくらいいるのだろうか?

鈴木さんには来年の3月に行われるAIPADの見学を兼ねてアメリカに来てほしいと誘い、山本さんには5月に行われるデジタルネガのワークショップに誘いをかける。このような機会で便利堂も学べる事は沢山あり、そして僕が協力できることもある。

その次の日には大阪にでてThird Gallery Ayaの綾さんを3人で訪れる。綾さんとはNYのICPで行われたオープニングで一度お会いしている。綾さんの所では前ミカさんが紹介してくれた日下部さんの作品を見せてもらう。サイトでしか見た事なかったが実際に見てみるとますますフィラデルフィアに持って来れないかと思う。近いうちに実現したい。

このように写真を通してアメリカと日本の間のこの距離を縮められないか?人、技術、物、そしてアイデアの行き来をもっと活発にできないかということをいつからかよく考えるようになった。そこにはどちらの世界も、言葉や文化の違いを障害とせず自由に行き来できる僕の役割がでてくる。そしてこれがミカさんと行おうとしているビジネスのコンセプトでもある。

新大阪の駅で久保さんとビールを飲みながら少し個人的な事まで話をする。今回は久保さんと過ごせる時間が沢山あり、仕事の事だけではない話をする余裕も出てきた。

そして久保さんと別れた後一路九州へ向かう。

Phillipとの会話

すっかり暗くなった時にスタジオに戻ってくると重要なメールが10件近く入っていた。それぞれの用件に対しすぐに返事をしてほしいと書かれている。昼間から外に出てきたのだが、たった6時間の間でのことである。さすがに忙しいと実感する。

今日は昼からお昼をかねてPhillipを訪れる。来年の春にギャラリーで行われるフィラデルフィアと日本の50年代の写真を見せるショーに参加する一人である。前にも触れたがこのショーではPhillipが撮った50年代のPhiladelphiaと僕の知り合いである山崎さんの50年代の写真を一緒に見せようという企画展である。二人とも「写真家」という部類に入る人達ではない。その分写真が本当に明快で見ていて快い。日本の写真の方はネガから起こすことになっていてフィラデルフィアのほうはPhillipがプリントしてあるものとネガから起こす物を予定している。そのショーの為の作品を見るミーティングをしてきた。

スタジオから電車とバスを乗り継ぎ30分位かけてNorth Eastと呼ばれる50年代から集合住宅が沢山できた地域にある彼の家を訪れる。既に1度訪れたが今回は時間をかけ彼の作品を片っ端に見る予定になっていた。昼過ぎに訪れるとこの82才のユダヤ系のおじさんはは少し弱った様子で僕を迎えてくれた。いつも挨拶するたびに彼はもう少し体の調子が良ければとつぶやく。

お昼を食べに近くにあるユダヤ系のDeliに一緒に向かう。今日はおごるからと言って聞かない。少しどぎつい内装でさびれた感じのレストランで、ウェイトレスのおばさんはびっこを引きながらも注文を受けにくる。Phillipはウェイトレスのおばさんに今日は元気かと暖かい声をかける。オーダを取ってテーブルから去った後顔を近づけてきて、あのウェイトレスがこの年でそしてこの体でまだ働かなければならないという現実は理解できないとささやく。

二人でお茶を飲みながらいろいろな話をする。彼は本当に知識に対してどん欲という感じで写真はもちろんの事,自分の職業であった印刷について、そしてフィラデルフィアや世界の歴史や文化の事ととにかく幅が広い。僕の知っている人の中でも日本史の明治維新の役割を話した後に彼自身特許まで取ったハーフトーンの点が見えなくする技術的な事まで違和感なく話せるのは彼位であろう。僕たちの会話の90%は彼が話している。

今までの彼の写真活動の話やフィラデルフィアの50年代の様子の話もする。いかにSouth Philadelphiaという地域にはユダヤ系の人達が集まっていたか、そして戦後郊外が発達して行く事によってユダヤ人の移動が始まったこと。Levitownという郊外集合住宅はまさにユダヤ人がユダヤ人の為に建てた町なのである事が分かる。そして一見幸せに見えたアメリカのイメージを崩したのがRobert FrankのAmericansである。Phillipとフィラデルフィアやアメリカの社会や文化の事を写真の歴史や技術的な進歩の文脈になぞりながら話すのは楽しい。写真の歴史が生きているという感覚がある。

その片一方で彼の体のことが気になる。彼の友達はガンの末期で最近ホスピスに移ったと話す。そして彼女の看病の為に彼は毎日のように病院に通っている。身体的にも精神的にも無理がかかり、先日は夕方の6時にまでベットから出る事ができなかったと言っていた。そんな事があったら、いつでも電話をしてくれれば一緒に昼を食べに行くと励ます。

後は1月からのプリント制作に取りかかる準備をしなければならない。Ilfordにスポンサーになってもらえればと、マーケィング担当の人にメールを送る。うまく時間が合えば久保さんもスポンサーとしてプリント制作に協力してくれると言っていた。

いつからか、自分一人でできる事は限られているので、他の人と協力をして物事を動かす様に意識し始めた。そしてこの様に写真を通して人間関係が出来ていく過程に喜びも感じる。今回ショーも僕の個人的な人との関係を通して出来上がってくる写真展である。

12/03/2008

進行中のプロジェクト

昨日は朝から三人の人と今進めているプロジェクトに付いて話す。

朝に電話をしたのはRonというコダックでEngineerとして働いていた人で1時間位話す。彼はRochesterに住んでいて今は個人の暗室で銀塩のフィルムとペーパーを作れるように独自で研究している人である。来年Rochesterに行ったら必ず会いたい人の一人である。

Ronは50年代の終わりから60年代の頭まで日本にいる機会があり、片言でも日本を話すぐらいの日本通である。そして仕事の関係上もありフジやコニカそして千葉大学の写真関連の人を良く知っている。今回日本に帰った時に彼の紹介でこのような人達に会おうと考えている。紹介してもらった人は4人ほどで研究者から会社の社長や元副社長までと本当に幅が広い。このような人脈をうまく伝って行きたい。

その後にskypeで小林美香さんと話をする。彼女とは今年の5月にNYで会ってからこのようにSkypeで連絡をよく取るようになった。実際には一度しかあった事がないが今ではSkype友達である。

彼女は今年に行われたICPでの日本人展をきっかけにアメリカに一年いて、こちらの写真界の様子を見てきた人である。長年日本の写真に携わってきた為、ある意味で両方を見ることができる数少ない人である。3週間ほど前に行われたParis Photoにも出品している出版社のお手伝いとして様子を見てきた。

彼女とは日本の写真と海外をつなぐ事をビジネスにできないかと前々から話している。最初の方は彼女もちょっと半信半疑だったのだろうかこの2ヶ月位具体的に活動してきていろいろ可能性が見えてきた。来週帰った時もうまく時間を合わせていろんな人に紹介をしてもらいたい。

そして夕方にはAndrea Modicaが教えているクラスの学期末のクリティークに顔を出す。一ヶ月前ほどに彼女が教えているプラチナプリントのクラスはギャラリーを訪れて栗田さんの作品を見に来た。その時も生徒各自が作品を持ってきて中間のクリティークを行った。昨日のクラスでは同じ学部で教えている学部長のPaul RunyonやAmanda Tinkerも一緒に顔を出していた。

彼女とは帰りに20分位学校から彼女のアパートまで歩きながら来年の計画の話をする。彼女とは今回行った能登への旅行でAndreaが教えるワークショップを付け加えられないかという事を話す。そしてその機会を利用して日本で日本人を対象にしてワークショップなどを行う計画を立てている。そんな事から彼女のボーイフレンドであるSteveの出版ビジネスの事やPhoto Eyeの人を紹介してもらう事まで。20分では足りない事ばかりだが彼女も忙しい人なのでこのように会える時に内容の濃い話をする。

Andreaはかんだかい声で「Are you sure you want to do all of these on top of what you already have?」と笑いながら、ある意味あきれていた。そんなに寒い日ではなかったが5時半を過ぎていた時には辺りは真っ暗でフィラデルフィアの夜景に向かって彼女と一緒に歩いた。

よく考えると全ての話がアメリカで築き上げた人脈を伝って日本と結びつけようとしていることがはっきりする。後は具体的に動いてどこまで実現が可能かということを探ってみたい。

11/24/2008

久しぶりに大工仕事

日本に帰る日が迫ってきて忙しい忙しいなどと思っているにもかかわらずクローゼットを作るプロジェクトを始める。前々から頭の中でどのようなデザインをするか考えを巡らせてきたがなかなか実行に移せなかった。しかし今週は大工友達のMargeを呼び二人で作業を始める。

常にカウンタートップを作りたいと思っていたので壁から壁までのスペースを作る。そしてその下には洋服を入れる事のできる棚。上にはハンガーのまま洋服をかけられるようにする。前々から作りたいと思っていた横に長いパネルも作ることにする。

このようなプロジェクトを行う時は元々のデザインを基準にするが材料の選択を最優先で考える。今手に入るものの値段をみて最終的な事を決める。2週間前にNJにある材木屋に行ってどんなものが手に入るかを下見に行った。この材木屋さんとは長い付き合いでこのビルの工事をした時から利用している。

元々1x4のLuanを買いたかったが値段がかなり上がってしまった。そこでオーナーのPaulにプロジェクトの話してみるとMohagonyのCove moldingが山ほどあると言ってきた。20年位動いていないものらしい。値段もLuanの半分以下という事でcove moldingを使う事にする。後はBirch Plywoodを8枚ほど使うサイズに縦長に切ってもらい搬入してもらう手配をする。

後はハンガーをかける所は前々からガスパイプを使おうと思っていたので友達のSteveの所に行って鉄パイプの切り方を学ぶ。なれない機械をいじりながらなんとかパイプを寸法どおり切る。大きな音でとても馬力のある機械は少し怖い。

残りはMargeと二人で五日間いろいろアイデアを出しながら作業を進めて行く。このように作業をする時はMargeと夕食の時までこうした方が簡単で効率がいいという話を延々とする。このようにお互いに持っている技術や感性を信頼できる人とアイデアをバンウスオフできるこんな時間が一番楽しいのかもしれない。

火曜日から始まった作業は日曜日の朝には100%完成ではないが、一応使える状態になっていた。下のスタジオにはまだまだこのようなプロジェクトが沢山残っている。









九州- 長崎、島原、五島

九州では一転してカラーで6x12のフォーマットを使い撮影する。前にも書いたがこのフォーマットはJohn Pfahlのレクチャーを見てから使い始めたものだ。4x5のカメラにバックをを付けて撮るものである。

長細いフォーマットに慣れた今では4x5や8x10を横長に撮るのが不自然になってきている。この頃6x12出さえ横幅が狭いと感じ始めた。

五島はかなりきれいな所で沢山写真を撮った。能登で2週間過ごしていたので見るものがすべて新しいという感じではなかったが一番撮影をした所である。前々から島での生活に憧れている。なぜか陸続きでないという感覚を実感できるのがいい。来年の5月の旅行の人が集まれば又五島に訪れることになる。その時は7x17を持って行く。

そんな事も含めて場所を限定しない方法でビジネスを行いたいと思ってきている。そんな視点から便利堂のことやProject Bashoの運営を考えるようになった。今回の旅行を機に新しい事がどんどん始まって行く。

後は輪島と珠洲での写真のベタ焼きが残っている。










11/11/2008

蛸島

やっとの事で日本で撮った写真を現像する。今夜は旅行に参加した人たちがギャラリーで写真を投影するイベントを行う。なかなかイベント続きで忙しく自分の写真に費やす時間などはなかった。

今回12年ぶりにまとまった時間を日本で過ごした。去年12月に帰った時は時間が短くあまりにも忙しく振り返る事などができなかった。しかし今回金沢や能登そして九州を旅行しreflectionの時間がとてもあり、その時間をとて楽しむことができたと思う。

今朝のNY Timesの記事にLeave of Absenceを仕事からとる話があった。アメリカの教員の仕事ではよくある話で1年間の研究の為の有給休暇である。もちろん普通の会社で働いている人はこんなことはできないのだろう。この夏までは正直言って仕事にどっぷり浸かりすぎていて長い時間働いているのだがプロダクティブではなかった。僕にとって今回の旅行はLeave of Absenceみたいなものだった。

以下は蛸島のお祭りで撮ったポートレート。お祭りに参加しているしている人に声をかけ撮影させてもらった。撮影している時は老若男女と考えていたのだが結果的に見ると若い人が多い。若い女の子などはどうしてもピースサインなどを出してしまうのだがそこは「ちょっと自然にカメラの方をじっと見て」と。「素直」とでも言うのだろうか、みんないい表情をしている。

そしてこのように訪ねた地で人に会う度に思った事の一つに、僕がアメリカに渡らずにあのまま日本にいたらどのような人になっていたかということがある。どのような日本のサブカルチャーに属して、どのような容姿、そしてどんな友達と時間を過ごしていたのだろうかと。どこに住んでどんな仕事をしていたのだろう。このような表面的な事から自分の夢やアイデアまでを含む中身まで。

そんな事を考えながら同時にこのアメリカでの12年間はどういう意味を持っているのだろうと思いを巡らせた。そういう意味で今回のイメージは「作品」などという以上の意味を持つことになる。

もちろんネガを見ながら、「8x10を持ってこれば…」や「もっと撮っていれば…」などと小さな事も思うのだが…。来年は8x10とアシスタントを。


















10/19/2008

いろいろと準備中

日本から帰ってきてから毎日のように駆け回っている。

この二ヶ月ほどはイベントが沢山計画されていて一つ一つの準備に時間をかけている。Olgaがイベントコーディネータとして大体の事は進めているが一週間に一日しか来ないので全ての事をまかなえる訳ではない。Olgaが終わらせられなかった事を一つ一つ片付けて行く毎日。

その一方で来年行われるONWARDのコンペの準備をしてきた。このコンペは去年から始めたものでこのギャラリーの最初のショーである。去年の審査員としてAndrea Modicaを選び、最初の年にも関わらず300人近くそして写真の数としては1,200を超える作品が集めることができた。その中から59の写真を選び1月と2月にショーを行い、1月に行われたオープニングには200人もの人が集まった。

今年の審査員としてフィラデルフィア美術館のキュレーターのPeter Barberieを選んだ。Peterとは5−6年前に写真の歴史のセミナーをとった事を通して知り合う。彼がフィラデルフィアに来てから直後にこのようなレクチャーのオファーを受けたのだろう。それから写真のイベントでよく会うようになり、いつもアルビューメンのワークショップを取りたいと言っている。

ところでこのセミナーでは今では写真友達のJimとも知り合い,そしてGallery 339を営んでいるMartinとも顔を合わせることになる。今考えればすごいメンバーであった。さすがフィラデルフィアの写真界はとても狭い。

今年はどんな作品が送られて来るのか楽しみである。締め切りは来月14日である。