3/31/2009

ブログのアドレスの移行

今回ブログのサーバーを移行しました。ブックマークなどをしている方は更新をしてください。

フィラデルフィア写真紀行 (http://phila-photo.projectbasho.org)

ブログのデザインも新しくし、投稿の使い勝手をよくする為にwordpressというオープンソフトを使い始めました。これからいろいろなフィチャーを付けていく予定です。

今年はますます日本とのやり取りが多くなり楽しくなりそうです。

2/08/2009

日本からのvisitor

一月も怒濤のごとく終わり2月に入った。

アメリカに帰ってきてからONWARDの展示やオープニングを済ませると,新しく始まるクラスの準備や先月から正式にアシスタントになったEstelleのトレーニング、そして工事作業であっという間に一月は終わった。

今月の終わりから来月にかけて,日本からたくさんのお客さんが来る予定である。3週間前に訪れた綾さんを皮切りに今年は日本をフィラデルフィアの行き来が多くなる。今年は去年の様に写真やアイデアだけではなく、実際に人の行き来が増える。今まで日本に帰ってはネットワークを広げて来たので、このような展開にやっとなって来た。

今月の終わりにはThe Prints久保さんが訪れる。久保さんとはNYで初めて会い,一昨年に11年ぶりに帰ってからも帰国する際には必ず会って来た人である。久保さんはプリンターとして興味のあるprintという事を通じでなにか面白い企画ができないかと模索中である。

今回はMoMaで行われているPrinted Pictureや、フィラデルフィアで今週から始まるChristopher Jamesの「Alternative Photography」の作例が見れるショー、そしてDCにあるLibrary of Congressやフィラデルフィア美術館などに訪れる予定である。とにかくプリントは見ないと始まらないということで、できるだけいろんな物を見ていって欲しい。そこで面白い会話などができ,その会話を何らかの形で残したいと思っている。

来月の頭に来るのはデゲレオタイプのアライくん。彼は今回美香さんを通して紹介してもらった一人である。今年の秋に行う計画のデゲレオタイプのショーにも参加してもらう予定になっている。彼とは2−3週間位の間で地域の学校とのワークショップやデゲレオタイプでのポートレートセッションなどを計画中である。もちろん彼の作品を見れる様にレクチャーや一般の人を招いてのデモなどの機会も設ける。企画としてはとても面白く、たくさんの人が参加してくれればと思っている。

今は最近新しくチームに加わったKristinと一緒にフィラデルフィアでの根回しをしている。地域の学校から各団体に案内を送ったり,地元の新聞の人にストーリーを興味を持ってもらう様に話をしている最中である。

3月の終わりに来るのは小林美香さん。彼女とはAIPADの視察や一緒に始めようとしている日本の写真の書籍を扱うビジネスの準備。このビジネスにはいろいろ可能性が含まれていて,これから実際にどのように出て行くかを考えるのがとても楽しい。ミカさんの滞在中に日本の写真についてのセミナーみたいな物まで行ってしまおうとしている。こんな機会はないので、いい形で日本の写真を紹介できればと思っている。

この様にフィラデルフィアに来るお客さんが沢山いる。これも写真を通しての出会いであり、うまく人と人とくっつけられるようにできるだけの事をしたい。去年の秋に訪れた珠洲市観光課の高林さんが言っていた事をふと思い出す。「観光って言っても、結局人が人をよぶのですね」という言葉が忘れられない。

人を呼び,人と人をつなげるのが僕の役割かと最近思う様になった。今はそのまっただ中にいる。

2/02/2009

「延々」と続く工事作業

壁にドアを取り付ける工事と平行しながらスタジオのいろんな所で作業をしている。

前回書いたコンピューターのステーションを仕上げる事から、天井にはるドライウォール、配線関係、そして今回導入する為のコンピューターのネットワーク関係などと幅が広い。さすがに天気が悪かったり,外で作業をするのは寒い時には他に作業をできるとこから行う。スタジオの作業ではやりたい事は山ほどあるのだがいつも自分の調子とどのような手助けが得られるかという事で作業を進めてきた。この頃は作業モードになっているようで、コンピューターの前に座っている時間が比較的少ない。

そしてこのように作業に集中するときはある意味他のものはほったらかしにしている。朝の7時位に起きてきてメールのチェックやスカイプでのやり取りを行い、9時にアシスタントのEstelleが来るまでにコンピューターでの作業を済ます。彼女とのミーティングを済ましてからは基本的に5時までいろんな工事関係の作業をして電話すらもとらない。基本的にはEstelleに全てをまかせていて,よほどの事がない限り彼女も僕の事を呼びにこない。この様にでもしないと作業がいちいち中断されてなかなか作業が進まないという事がある。

週末に泊まりに来た友達にこのビルの工事の写真を最初から見せてと頼まれた。この頃全然見ていなかった写真で是非と言われるのでコンピューターから探してくる。こんな写真を見て比べる事がないので、このように時々みると正直言って自分でも驚く物がある。

彼女は「よくこんな状態を見て何かになりうるなんて思えたね」とコメント。真っただ中にいた時はそんな事を考える余裕もなかったし、とにかく目の前にある作業しか見えなかった。彼女には「ある意味、無知がいい様に働いてくれて、ただがむしゃらにやったんだよ」と答えた。

いつもはやらなければならないリストが沢山ありすぎ,「工事」が延々と続いている感がある。しかしこの様に写真を見ながらここまで来た過程を思うと「よくここまで…」と思う。このような感じがこれからも巡って来るのだろうが,その時にはこうやって今までの過程の写真を見て励ます事も必要かと…。

小さいときから物を作るのが好きで、いつか大工さんになりたいと小さいながら思っていた時があった。このような形である意味夢が叶うとは誰にも想像もつかなかっただろう。






1/24/2009

一足DCへ。

Onwardのオープニングには200人以上の人が来てくれた。去年の様に季節外れに暖かい日ではなく、今にでも雪が降りそうなとても寒い日であった。それにも関わらず200人も人を集めることができたのはなかなかのものである。

オープニングが終わり先週から工事作業を始めているがなかなか終りが見えない。今回はレンガの壁を切ってそこにドアを取り付けるという少し大掛かりな作業である。先週は寒波にも襲われ,外での作業はひたすら寒くなかなか作業が進まない。そんな事を思っているとついつい他の作業をしたくなり,この一年位かけて作っているコート掛け兼コンピューターステーションみたいなものを終わらせる為ひたすらKevinと作業をする。

そんな所に先月大阪で会ったThird Gallery Ayaの綾さんからメールが届く。仕事でNYに来る用があるらしくそこから足を伸ばしてDCまで行くというのである。DCではRobert FrankのAmericansのショーがあり,もし良かったら一緒に行かないかと。一瞬、頭の中でinaugurationが行われるDCは相当人が集まっていると思って躊躇したが結局行く事にした。

綾さんがフィラデルフィアに着いたのは列車の遅れのせいで夜10時を過ぎていた。これもその日にObamaがフィラデルフィアの駅から電車に乗って行ったのが理由であった。案の定、次の日からinaugurationの行われる日までは電車のチケットがほとんど完売されていて、僕達もチケットをとることができなかった。そこでアシスタントのJeremyの車を出してもらい3人でDCを訪れる。

DCには2年以上も訪れていない。前回来たときは妹の様なPraeがまだアメリカにいた時で、彼女の住まいだったタイの大使館に泊まったのを覚えている。なにげに近いようで遠いDCである。この様に何かあった時に訪れるのが普通になってきた。あさの10時頃にフィラデルフィアを出て高速で行くと2時間ちょっとでDCに着く。

ロバートフランクのアメリカンズは教えているクラスで毎回見せているのだが,全てのイメージを見せている訳ではなく、そして順番も変えているのである意味新鮮に感じられた。本の構成やその裏の彼のアイデアなどが分かりやすく説明してある。本を出す前までの作品やコンタクトもあり,ロバートフランク好きの人にはとてもいいショーではないかと思う。

帰りは3人で友達のFairlieの家で夕食をごちそうしてもらい,彼女の家に訪れている人達との会話を沢山してきた。ワインと簡単な食事、そしていろんな人種やバックグラウンの違う人達との会話というのはいつもいい組み合わせである。僕たちの分野である写真やアート教育など、ある意味勝手に話をさせてもらってきた。

綾さんは日本からの写真関係の二人目のお客さんである。来月訪れる予定になっている久保さんなども含め、今年はこのように日本からのお客さんが沢山来る予定である。こちらでのネットワークをうまく活用して、personableに迎えたいものだ。



1/02/2009

お正月は…

今年は週末のチケットがとれないという事で元旦に帰国をする。

大晦日は弟の家族も含め家族全員で食事に出かけた。弟とは11年間一度も会う機会がなかったが、去年からこのように帰って来る度に家族で会う様になった。子供が3人もいるという事でいつのまにか「異国にいる容姿が変わった叔父」ということになっている。

夕方位に帰ってきてからは荷物の整理。今回は本関連の物が多い。そして食べよう食べようと思っていた牛丼をわざわざ買ってきて夕食の年越しそばと一緒に食べる。夜はひたすら荷物の整理。

元旦の朝は家族で一緒にお雑煮と簡単なおせち料理を食べ,昼位には空港に向かう。空港での昼食は何を食べようかとさんざん悩んだ結果、ホイコウロウ。タラコのスパゲティーも捨てがたかったが、高校生の時に近くのラーメン屋によりよく食べていたのを思い出した。しかしフィラデルフィアの中華街でホイコウロウは見かけない。

フィラデルフィアには着いてHappiが空港まで迎えに来てくれる。スタジオ番をしていたAlと友達のSteveも現れ、皆でパスタとサラダの簡単な夕食を作る。荷物を開けながら、お土産をあげたりとお土産話をする。こんな気さくに集まれる友達と一緒に時間を過ごしている時こそ、ここにも自分の生活があると実感をする。

おかげで日本とアメリカでお正月を過ごすことができた。ある意味今年からのアメリカと日本の行き来が増える事を象徴しているようである。

12/27/2008

歴史と歴史との関係

金沢で久保さんに勧められていた、杉本博史のショーを21世紀美術館でみる。タイトルは"History of History"と作家一人で行うには少し大げさな感じがあるが、このショーはNYのJapan Societyで見た事があり、一つ気に入った作品を覚えているのでまた訪れる。

さすがにNYでの展示スペースの限界のためあまりまとまりがなかった事を記憶していたが、21世紀美術館で行われているショーはスペースの使い方がとても有効で完成度の高いもになっている。このショーは写真展ではなく彼の写真作品と自分の古美術のコレクションを交えたとても面白いショーだ。中には自分の写真を古美術に実際に混ぜて見せている物もある。

インタビューなどを見るとどのようなアイデア基にして作品を作っているなどと分かり彼の作品を理解するにはかかせない物だと思った。前々から思っていたが彼の作品を見ていると「時間」を意識せざるえない。それも一瞬の時間から数千年もしくはもっと長い時間を含めて。そしてそれらが「歴史」というアイデアを構成しているのであろう。「歴史」という事をレファレンスにする為ある意味「普遍性」みたいな物をかもしている。

その後に国際交流サロンの永江さんの所に寄ってみるとシムさんと山口君という若い工芸作家に出会う。彼らは金沢市がプログラムとして行っている卯辰山工芸工房という所で自分たちの作品を作っている。ここでは30人ほどの人達が全国から選ばれて、スタイペンド(給料)をもらいながら作品を作る機会を与えられる唯一のレジデンシーだそうだ。若くして作品を作っているという事もあり話が弾み、時間がないながらも次の日に輪島に向かう前にスタジオを訪れる事にする。

卯辰山は海抜が140mとそんなに高い山ではないが金沢の比較的平らな場所にある為、頂上からは金沢が全てが一望できる。僕もちょうどどの地点から金沢を全て撮ることができるのかと考えていた所にこんな機会に出会わした。あいにくの雨だが工房から見える景色はなかなかの物である。ここでは陶芸、繊維、ガラス、メタル、漆器の5項目だけを制作しているスタジオである。シムさんは漆器そして山口君はガラスのを使いそれぞれ作品を作っている。アメリカでいうCraftと呼ばれているアートである。

前の日話している時にアメリカではFine ArtとCraftの地位の差というのが明確に現れている事を話す。一概に言えないが、Fine Artというのはとても洗練されていているが、craftとなると手作り感みたいな意味合いが含まれてきて評価が下がる。もちろん家具を作る作家や陶芸の人でもとても評価の高い人がいるが、やはり取引されている値段そして話題性という点から見ても、Fine Artとの「差別」みたいな物は薄々と感じる。

工芸では長い「歴史」や「伝統」という物が逆に作用して一種の束縛感みたいな物になっているような感じがする。杉本博史が歴史を利用する事によって作り上げている「普遍性」のようなものはどこに行ってしまうのだろうか?歴史との関係をうまく利用するか、それともそれによって縛られるのかは作家次第なのだろうか?今にも雪が降りそうな曇りの金沢を発つ電車の中でそんな問いが頭を巡った。

12/24/2008

中心と地方の微妙な関係

九州は3ヶ月前にも訪れた。

前回は長崎,島原そして五島を訪れたが、今回は福岡と長崎のホテルの下見をする為に来た。めぼしいホテルを片っ端から訪れ、部屋の面積など細かい情報を教えてもらい、実際に部屋まで案内をしてもらう。このようにして20位のホテルを巡った。その為長崎などは実際に滞在していたのが24時間もなかった。

この様に日本をいろいろ動けるのはJR Passのおかげである。このパスは海外からの旅行者や永住者が週単位で購入することができる。「のぞみ」に乗れなかったり、実際にみどりの窓口に行かなければチケットを購入することができないなど制限はあるが,2週間、4万5千円でJRの電車が乗り放題になり、このような旅行にはなくてはならない物である。

新大阪から3時間位かけ小倉に向かい、駅前で大淵さんと待ち合わせをした。彼女は去年の今頃に東京で久保さんと一緒に会ったのが初めである。それから彼女も参加するショーやプラチナプリントの事などを通して連絡が頻繁になった。彼女は一昨年のFundraiserでは僕のプリントを購入してもらい,今年はプリントを数枚寄付してくれた。実際の距離は遠いながらもProject Bashoを支えているサポーターの一人である。

彼女の所に訪れた時は必ず情報の交換をする。プラチナプリントやカメラのことから写真を見ながら作家の事など写真について話す。前回などは情報を探して試してみたAnthrocotypeのプリントを見せてもらったり,実際のやり方に付いての情報をもらった。今回はベス単で作品を作っている人の写真集と大淵さんの写真を見せてもらった。色分解されたようで、比較的淡くしかし芯がある色がでていて、Autochromeの色をを思わせた。昔カメラ雑誌の広告でよく見たキヨハラソフトフォーカスの話をする。今ではあまり見なくなったようだが中判までのレンズがでていて、こんな物をレンズに取り付け4x5位に使えないのかとアイデアを交わす。

このように彼女と話をしていて感心するのはこのように地方にいても切磋琢磨に情報を収集していて作品作りの役立てているところである。彼女の事を見ているとどこにいても自分のアンテナを敏感にしていれば情報は入ってきて、ちゃんと作品を作れるのだと。日本の様に東京に一極集中していると一見そうに行かない様な気もするが、彼女を見ている限りそんな事はない。

つまり情報や「刺激」があるとされている東京にいるという事がいい作品を作るという事と比例しないというのだろう。もちろん情報や「刺激」だけで作品を作っていないので当たり前と言えば当たり前である。逆に情報が「はやり」として氾濫している東京では、自分の興味のある事にじっくり取り組む事ができないのかもしれない。「中心」にいるという事の「よい」とされている事が逆手になるというか。

これはアメリカにも似ている事が言える思う。日本人間の話を聞いているとNYを行けば/見れば写真の事がネットーワク的なとも含め全て「網羅できる」みたいな感がある。実際な話NYなどは競争が激しく全てが縦割りになっていて、いろんな人を知って行くには時間がかかり苦労する。

逆にフィラデルフィア見たいな地方都市に行くと写真界が狭いため皆「コミュニティー」としての意識があり横の関係を作って行くのが比較的簡単である。会う人に会っていればすんなり入って行くことができる。逆にこのような所で面白い事やちょっと居敷が違う事をすると人が寄ってきてくれて全面的に協力してくれる。そういう意味でも写真家,ギャラリーそしてキュレーターなどの人と「同等」に人として知り合いそして付き合うことができる。

そしてアメリカでは一極集中という物がなく各都市に中心がありアート界が存在する。つまりNYではやっている物が他の所で情報として伝わっているかというと必ずしもそうでない。アメリカで全国共通の「はやり」や「話題になっている物」というのはなくもないが、大体は日本のメディアが誇張に表現しているに過ぎない。

そんな状況などは外からでは見えないし,そんな事を追っている人には見えない物である。そういう事も含めて「中心」から距離を保つのはいいことであると思った。